恋時雨~恋、ときどき、涙~

これは、フェアじゃない。


店長に、手話は通じない。


だけど、のんびりと筆談しているほど、余裕はなかった。


〈わたしに、過去はない! 捨てた! 全部、忘れた!〉


興奮するわたしとは対照的で、店長はいたって冷静だ。


「困ったな。手話、分からないんだ。すまない」


と苦笑いして、おもむろに立ち上がり、本棚の前まで行くと、こう言った。


「話を、変えようか。実は、俺も童話が好きなんだ」


ほら、これ、と店長が指さしたのは、みにくいアヒルの子だった。


「幼い頃、夢中になって読んだよ。特に、アンデルセンの童話」


裸の王様、マッチ売りの少女、パンを踏んだ娘、次々に指さしたあとわたしの横に戻って来て、


「不思議でたまらなかったんだ」


と店長は話し始めた。


わたしが読み取りやすいように、ゆっくり、大きな口で。


「ハッピーエンドが多いグリム童話と違って、アンデルセンは悲しい結末が多いと思った事、ない?」


確かに、言われてみれば、そうかもしれない。


わたしは妙に納得して、小さく頷いた。


「ね。だろ? そこで、好奇心旺盛で探究心の塊だったタケハナ少年は、こんな事を考えるわけだ」


タケハナ少年、て。


わたしは思わず笑ってしまった。


楽しそうに当時の事を語る店長はまるで少年で、無邪気な大人だ。


「この悲しい物語たちには、また違った結末が用意されているんじゃないか、幸せな結末だってあってもおかしくはないんじゃないのか、ってね」


わたしはふるふると首を振って、ボールペンを握った。


【あるわけない
 物語の結末はいつもひとつ
 そう決まっている】


「いや。それが、そうでもなかったんだ」


得意げに、店長が笑う。


「知らないのか? 人魚姫には、4つのエンディングがあること」