恋時雨~恋、ときどき、涙~

いつも括淡として仕事をこなし、どんな事にも感情の起伏なく整然としていて、奉然自若な人なのに。


そんな彼が、大切な大切なフライパンや鍋を次々に床にばらまく。


何も無いのにつまずいて、洗浄消毒したばかりの食器をまるでなぎ倒すように落とした。


それで終わるわけがなかった。


危ない!


わたしは、たまらず息をのんだ。


まだ熱湯がたっぷり張っているお鍋をひっくりかえしたのだから。


小さな厨房はあっと言う間もなく湯気と水浸しになり、まるで空き巣に入られた後の部屋のように、あらゆる物が散乱していた。


そして、店長は力尽きたように、水浸しの床に尻餅をついたのだった。


大きな、大きな、しりもちだった。


唖然とするしかなかった。


取り乱す店長を見たのは、本当に初めてだったから。


急いでひっくり返ったお鍋を起こそうと手を伸ばした時、店長がわたしの手首を掴んだ。


「本当に、好きなんだ。ごめん。返事が怖かったんだ」


店長は、脅えた顔をしていた。


「本当に、君のことが好きみたいだ」


何年ぶりだったのだろう。


突然姿を消したはずだったあの子が、わたしの心臓に再び戻って来たのだ。


耳が長くて、目は真っ赤で、ふわふわもこもこの真っ白なうさぎが、飛び跳ねた。


「気付いた時にはもう、どうにもならないくらいに、好きになっていた」


店長の目がとても真っ直ぐだったから、胸が締め付けられた。


透明な目を、店長はしている。


わたしは小さく笑って、メモ帳を差し出した。


【聞きたいことがある
 教えてください】


「あ……何?」


【おなべがひっくり返る音 フライパンが落ちる音 食器が割れる音】


店長がハッとした顔をした。


「……うわ……ひどいな、これは」


散らかり放題の辺りをぐるりと一周見渡して、店長はくすぐったそうに笑った。


笑った。


「貸して」


そして、わたしからメモ帳を奪うと、こう書いた。