恋時雨~恋、ときどき、涙~

この明太子ソースには、レモン汁と昆布茶が隠し味に入っている。


それとあとひとつ入っている物があるのだが、それは何か。


それを当ててみろ、というものだった。


すぐに分かった。


柑橘や穀物酢とはまた違う、独特の酸味が隠れていたからだ。


「そんなの無茶よー、大丈夫? 分かる? 真央」


お母さんがはらはらどきどきした様子でわたしを見て来る。


久しぶりに、わくわくした。


わたしはお母さんに微笑んで、メモ帳をずいっと差し出した。


自信があった。


【うめぼし】


メモ帳を見た次の瞬間、店長の細い目が2倍になった。


店長の唇が動く。


「採用」


わたしは、久しぶりに自分の目を疑った。


相当の早口でない限り、相手の唇を読むのは朝飯前なのだ。


だけど、この時ばかりは、信じられなかった。


「明日から来てもらえると助かる。大丈夫?」


わたしは、おそるおそる、頷いた。


「じゃあ、よろしく」


店長が手を差し伸べて来た。


その手を握り返しながら、わたしは思った。


きれいな、手だ。


それが、武塙秀一(たけはな しゅういち)さんとの出逢いだった。


彼は、不思議な大人だった。


わたしの障害を、まったく気にしないのだ。


「料理に聴力は関係ない。味覚が確かなら、それでいい。君の味覚は確かだと判断した」


東京での生活が始まって、半年が経っていた。