恋時雨~恋、ときどき、涙~

〈わたし、がんばったの。とても、がんばった〉


わたしの両手を見つめて、お母さんが頷いた。


「知ってるよ。真央が、頑張り屋さんだってこと」


お母さんの優しい指が、わたしの涙をすくい取る。


お母さんの手は、せっけんの香りがした。


わたしはあふれる涙に抵抗するように、お母さんを指さした。


〈お母さん、言ったよね?〉


前に、言った。


健ちゃんとぶつかって落ち込んでいた時、わたしに。


頑張れば何でも乗り越えられるようにわたしを産んだ、ってお母さん言ったよね。


〈耳が聞こえなくても、両手があるって〉


「真央……」


お母さんは悲しそうな顔をしていた。


〈だから、わたし、がんばったの〉


耳が聞こえなくても、この両手で気持ちは伝えられるって信じていたから。


ずっと、彼と一緒に居られるって、わたしと健ちゃんに限界なんてないんだって、信じて頑張ったの。


〈だけど〉


だけど、この恋の障害を乗り越える事が、わたしにはできなかった。


ライバルでも、環境でも、何でもない。


この恋の障害は、他の何でもない、私の耳だったのだから。


〈こんなにがんばったのに、どうにもならなかった〉


諦めたくなくても、諦めるしか、方法がなかった。


〈すごくすごく、がんばったんだよ〉


震えるわたしの手を握って、お母さんが言った。


「ごめんね、真央。お母さんのせいだね。頑張れ、なんて言わなきゃよかったね。頑張っている人に、もっと頑張れなんて、酷いよね」


お母さんの頬を伝う涙は、透明できれい。


「だから、こんなになるまで頑張り過ぎてしまったんだよね。頑張り過ぎて、疲れてしまったんだね」


健ちゃんも、と言ったお母さんの唇が震えている。


「頑張り過ぎて疲れてしまっただけなのにね。ふたりとも」


そう言った後、人の波を抜け出して、お母さんはわたしを連れて壁際のベンチへ移動した。


ベンチに座るなり、お母さんがスマホを取り出した。