恋時雨~恋、ときどき、涙~

わたしは首を傾げた。


わたしの怪訝な表情に気付いたのだろう。


「メモ帳も、ボールペンも、必要ないの」


と、健ちゃんのお母さんは手を大きく動かした。


伸ばした右手の人差し指を左胸、右胸へと順番にあてる。


「大丈夫よ」


息が止まった。


健ちゃんのお母さんが両手をスムーズに動かす。


それは、上手な、完璧な手話だった。


両手の人差し指を向かい合わせ、半回転違いにぐるぐる回転させる。


そして、さっきと同じ「大丈夫」という手話をした。


「私ね、手話、できるのよ」


だから、これは必要ないの、とわたしの手の中にあるメモ帳を、健ちゃんのお母さんが指差す。


「今日は、お願いがあって来たの。突然、押し掛けて来てしまって、ごめんなさい」


突然のことに、わたしは何も返すことができなかった。


いきなり健ちゃんのお母さんが訪ねて来たことに驚いたわけじゃない。


健ちゃんのお母さんが手話をしていることが、ただ、驚きだった。


メモ帳とボールペンをポケットにしまって、わたしは尋ねた。


〈どうして、手話、できるの?〉


健ちゃんのお母さんは、困ったように苦笑いを浮かべた。