恋時雨~恋、ときどき、涙~

「いい雰囲気だろ。入ろう」


亘が薦めてくれたんだ、と健ちゃんは笑った。


わたしが頷くと、健ちゃんは「あ」と口を開けて振り向いた。


「ひとつ、真央に言っておかなきゃいけないことがある」


そう言って、健ちゃんは手に持っていたスーツの上着を羽織った。


店先のわたしたちに気付いたのか、店員さんがドアを開けて出てきた。


「ご予約のお客様ですか?」


真っ白なワイシャツ。


タイトな黒いズボンに、黒いエプロン。


背の高いお洒落な男性の店員さんに、


「4時に予約してる西野です」


と健ちゃんが頭を下げた。


「けど、すみません。ちょっと待って下さい」


そう言って、健ちゃんはわたしの顔を扇いだ。


「真央。実はな」


突然、手話を始めた健ちゃんの肩越しに、少しびっくり顔の店員さんが見えた。


「今日な。ここで待ち合わせしてる人たちがいるんけ」


〈誰? 亘さん?〉


「違うんけ」


と首を振った健ちゃんは珍しく、真剣な目をしていた。


おれの、と胸に人差し指を当てる。


その人差し指は右の頬を伝い、親指を立てる。


「父ちゃんと」


え……。


戸惑うわたしにお構いなしに、人差し指は右の頬を伝い、小指を立てる。


「母ちゃん」


それから、弟も、と健ちゃんは言った。



うそ。


突然すぎた事に、わたしは戸惑いを隠しきれなかった。