恋時雨~恋、ときどき、涙~

「来るな言うてんのに、しつこいやっちゃ!」


背後の窓ガラスにもたれながら、幸は大きな目からぽろぽろ涙をこぼした。


「嘘や……嵐は待っとる。天国でうちを待っとるんや! 嵐は……おる!」


手を伸ばせば捕まえられる距離に幸がいるのに、すごく遠くに感じた。


幸は窓ガラスにもたれかかって、目の前のわたしを睨んだ。


「嵐がおらんこの世界に、うちの居場所は、もう……ないねん」


ナイフを持つ幸の両手が、小刻みに震え出した。


幸……。


もう、やめようよ。


わたしは握り締めていた出刃包丁を、カーペットの上に捨てた。


最初から、本気で死ぬ気はこれっぽっちもなかった。


ただのハッタリだ。


〈幸?〉


小刻みに震える幸の顔を扇ぐと、幸は体をこわばらせた。


なんて、真っ暗闇。


わたしは、幸の肩越しに広がる暗雲立ち込める夜空を指差した。


真っ黒な雲に隠れて、月は見えなかった。


星だって、ひとつも見つからない。


〈あそこに〉


幸は体を震わせながら、わたしの両手をじっと見つめていた。


〈幸の居場所はないよ〉


あんな暗雲立ち込める場所へ行ったって、幸の居場所はひとつもない。