恋時雨~恋、ときどき、涙~

はあ? と幸はナイフを喉に向けたまま首を傾げた。


キャンドルライトの灯りが、幸の涙を朱色に輝かせる。


「真央の言いたいことがよう分からん」


〈幸の居場所は、ここ。向こうに、幸の居場所なんかない〉


わたしは首筋に刃先を当てたまま、一歩、幸との距離を詰めた。


〈だから、あっちに行ったら、幸はひとりぼっち。だから、わたしもついて行く〉


もう一歩、距離を詰める。


「なにアホなこと言うてんねん」


幸が、一歩、後ずさりした。


アホで結構。


わたしは幸の目を睨み付けながら、さらに一歩、距離を詰めた。


アホで結構だ。


アホなことをしてでも、幸を救うことができるのなら、喜んで宇宙一のアホになる。


不良品の耳を付けているわたしに、何度も手を差し伸べてくれた、幸を。


音のない世界で立ち止まったわたしの背中を押してくれた、幸を。


ひとりぼっちになんか、させない。


「来るな言うてるやろ!」


幸が大きな口で叫んだ。


わたしが一歩距離を詰めるたびに比例して、幸も後ずさりした。


幸が窓ガラスに背中をぶつけた。


幸はついに、逃げ場を失った。