恋時雨~恋、ときどき、涙~

焦点が合っていない。


うつろな瞳の幸が手にしたのは、果物ナイフだったから。


「行こうと思うんよ」


ナイフを握って幸は立ち上がり、窓辺へ向かった。


振り向いた幸は、別人のように小さく見えた。


「嵐のとこにな、行こう思うんや。うち、じゅうぶん頑張ったやろ。そう思うやろ?」


なあ、真央、そう言って幸はナイフの先を喉に向けた。


だめ!


わたしが立ち上がった瞬間、来るな!、と幸の唇が言った。


「止めんといてや。もう、死なせてや。しんどいねん」


そんな簡単に死なせて欲しいなんて、言わないで。


わたしは必死だった。


幸を失いたくない、その一心だった。


〈わたしも、しんどい〉


乱暴に両手を動かして、わたしは暗いキッチンへ行き、手探りでそれを握りしめて戻った。


わたしを見た幸が、目を丸くした。


〈しんどいね。幸。わたしも、しんどい〉


だって、他に方法が思いつかない。


どうすれば、幸は思い留まってくれるんだろう。


どうすれば、幸がまた、心から笑ってくれるんだろう。


「真央……アホか……何考えとんねん! やめえや!」


幸が大きな声を出したのだと分かる。