恋時雨~恋、ときどき、涙~

だって、家に来るなんて本当に知らなかったのだ。


連絡なんて取っていなかった。


「突然、来たりしてごめん」


そう真剣な面持ちで手話をしたあと、健ちゃんはやわらかく微笑んで、わたしの正面に腰を降ろした。


わたしは怪訝な表情を作って、健ちゃんを睨み付けた。


〈何しに来たの?〉


仕事が終わったその足で、真っ直ぐ、ここに来たのだということはすぐに分かった。


くたびれて疲れた作業着姿だったからだ。


「そんなにつっぱねるなよ」


健ちゃんは苦笑いをして、今までごめん、と手話をした。


そして、わたしの右手をとり、手のひらの上に小さな物をそっと乗せた。


「これ、真央のだんけな」


銀色に輝くそれは、アパートの合鍵だった。


端が少しだけ欠けていた。


あの日、わたしが力の限り投げつけたからだ。


「真央」


健ちゃんが、わたしの顔を扇いだ。


ゆっくりと、健ちゃんの両手が動く。


「あのアパートで、一緒に、暮らさないか?」


健ちゃんの瞳はどこまでも真っ直ぐで、迷いがなかった。


でも、わたしは頷く事ができなかった。


素直になれなかった。


何よりも、状況を全く理解できなかった。


固まるわたしに、もう一度、健ちゃんは言った。


「あのアパートで、一緒に、暮らそう」