恋時雨~恋、ときどき、涙~

「暗くて危ねんけ。送ってく」


危なくない!


ひとりで帰れる!


そう叫んで、怒鳴ってやりたかった。


わたしも、普通の人と同じように感情を声に出してみたい。


わたしは健ちゃんを睨み付けて、その手を振りほどいた。


こういうふうにしか、わたしは感情をぶつける事ができないのだ。


怒鳴り散らす代わりに、態度や力ずくで表す。


わたしは、健ちゃんを突き飛ばした。


「真央は、いつもそうだんけ! 怒ると、手話すら見ようとしねんけ」


そんなんじゃ、いつまで経っても、相手の心の声は聴こえねんけ、と健ちゃんの両手が言った。


聴こえなくて結構だ、とわたしは思った。


どうせ、心に声なんていうものはないのだ。


わたしは、コートのポケットに右手を突っ込んだ。


取り出したそれを、健ちゃんに投げつけた。


銀色の鍵は、健ちゃんの右の頬にかすり通路に転がった。


〈そんなもの、要らない! 果江さんにあげればいい〉


健ちゃんは通路に転がった合鍵を、悲しそうに見つめていた。


わたしがこんなにも失礼なことをしているのに、健ちゃんは怒らなかった。


だから、かえって切なかった。


健ちゃんの両手が、ゆっくり動く。