恋時雨~恋、ときどき、涙~

〈どうして、ここが?〉


一枚のガラスを隔てた向こうで、彼は頷く。


「さっき、会って来た。真央の、母ちゃんに」


健ちゃんが、大きな声を出したのだとすぐに分かった。


通り過ぎて行く人たちがぎょっとした顔で、彼を見ては振り返って行く。


「そしたら、ここだって。真央の母ちゃんが、教えてくれた」


わはははは、と彼は大きな大きな口で豪快に笑うのだ。


わたしは、手のひらで喉元に触れ、首を傾げてみる。


〈声〉


出るように、なったんだね。


にっ、と健ちゃんが白い歯をこぼした。


「まだ、な、完全に治ったわけじゃないけどな! 少しは、まともになったんけな。来た」


そう。


そっか。


うん、うん、と頷いているうちに目の奥が熱くなって、次は胸がいっぱいになった。


もう、胸が破裂しそうなほどいっぱいになって、はち切れてしまいそうだ。


頷く事が精一杯のわたしに、


「真央! いいか、よく聞けよ」


と健ちゃんは言い、さしていた傘を畳み足元へ落とすと、今度は手話だけで話し始めた。


「おれは、この2年、いろんな事に決着をつけて来た」


絹糸のような雨に濡れながら、健ちゃんはひとつひとつ丁寧に、両手を動かした。


「少しでも早く治したくて、カウンセリング、真面目に通った」


道行く人たちが怪訝な面持ちで健ちゃんを振り返り見ては、足早に通過して行く。


仕事も頑張って、それなりにお金を貯めたこと。


大好きなハヤシライスを、ひとりで作れるようになったこと。


「でも、やっぱり、真央にはかなわないけど」


洗濯物がしわにならないように干すコツを編み出したこと。


「でも、真央みたいにきれいに畳むことはできないままなんだけど」


ゴミの分別ができるようになったこと。


「でも、曜日、間違えてしまうけど」