恋時雨~恋、ときどき、涙~

「さっちゃん、早かったねえ。いらっしゃい」


と真千子さんが話しかけても、


「シュークリームあるけど、食べるか? 今日は金は要らない」


と店長が無愛想な態度をとっても、幸はドアの前に突っ立ったまま、睨むようにわたしを見つめるだけだ。


〈どうしたの?〉


聞きながらティーカップを片手に厨房を出て行くと、幸はようやく傘を閉じてそこに落とすと、つかつかとわたしに向かって来た。


幸の様子が、明らかにおかしい。


仕事で何か嫌な事でもあったのだろうか。


店内を包み込んでいた和やかな空気は一変し、ピアノ線がピンと張ったような緊張感のある張りつめたものになった。


わたしに詰め寄った幸は、リップクリームだけの無防備な唇を震わせている。


〈どうしたの?〉


こわい顔、と顔を指したわたしの手を捕まえて、幸が口を開いた。


「真央。あんた」


わたしは、幸の唇をじっと見つめた。


「どうしたの、やないで。何しとん。何しとんの、真央」


わたし?


意味が分からない。


どうして、幸が怒ったような顔をしているのか。


なぜ、そんなに感情的になっているのか。


分からなかった。


〈来るの早かったね〉


わざとはぐらかすわたしを見て、何しとるんよ、と幸は大きな溜息を吐きだした。


何だ何だ、何事だ、と言いたげな顔で、店長と真千子さんがいつもと明らかに違う様子の幸を見ている。


幸は興奮しているのか、手話だけではなく、大きな口も一緒に動かしながら話し始めた。


「あんたなあ、音が聴けんのやったらな、もっと警戒心持たな! 無防備すぎるやろ、真央」


幸の目尻が小刻みに動いている。


「ここは、あの、のどかな田舎町ちゃうで。東京やで。いつな、どこでな、誰に見られとるか分からんのやで」


と、幸はテーブルの上のシュークリームたちを指さす。


「暢気に、休んどる場合ちゃうで。真央」