恋時雨~恋、ときどき、涙~

わたしは卵白を泡立てる作業を中断して頷き、小さく手を振った。


行ってらっしゃい。


店を出ようとした真千子さんを、店長が呼び止めたらしい。


ドアの前で、真千子さんが振り向く。


「なしたの?」


わたしは卵白を泡立てながら、ふたりを見つめた。


店長は厨房を出て、「これ、持って行け」と真千子さんに傘を持たせた。


「えー。要らねよ。こっから近いもの。帰って来るまで降らないべ」


拒否した真千子さんに「だめだ」と店長が傘をしっかり握らせる。


「見てみれ、向こうの空、真っ黒だ。今降ってなくても、急に降って来たら困るべ。体冷やされないべ」


ドアのガラス越しに空を見上げて「したら、持って行く」と真千子さんは出掛けて行った。


真千子さんのお腹の中には、今、5ヶ月の新しい命が宿っている。


「なんだって、暢気なんだからよ」


厨房に戻って来た店長に、わたしはメモ帳を差し出した。


【順調だといいですね】


「ああ、ありがとう」


店長はにっこりと、本当に幸せそうに微笑んだ。


普段は無愛想なくせに。


「さて、続き片してしまうか」


わたしは頷いて、メモ帳とボールペンをしまうために鞄に手を伸ばした。


あっ。


その時、誤って鞄を落としてしまい、中身が床に散らばってしまった。


急いで拾っていると、店長の長い指がそれを拾った。


やばい、見られた。


わたしは、むしり取るようにそれを奪い返した。


「なんだ、お前」


と呆れたように店長が笑う。


「まだ、返事してなかったのか」


悔しいけれど、図星だ。


わたしはこくと頷いて、隠すようにそれをエプロンのポケットに押し込んだ。


「一体、何のために会いに行ったんだ。2年前」


ストップ! 、と店長に手のひらを突き出して、メモ帳にボールペンを走らせる。