恋時雨~恋、ときどき、涙~

波の力に反発しながら立ち尽くす健ちゃんに背を向けて、水をかき分け突き進む。


ばかばかしい。


何かと引き換えに、だなんて。


生まれた時から無い物だらけだったわたしには、そんな事できないもの。


わたし、彼女のように、おりこうさんにはなれないの。


この耳だけで十分。


これだけで、精一杯なの。


命と引き換えに、だなんて、嫌。


苦しくても、辛くても、もがきながらでも、わたしは生き抜いてみせる。


だって。


水をかき分けながら、わたしは奥歯を噛んだ。


だって、だって。


涙があふれて、前が見えない。


だって……言ってくれたんだもの。


真央は、真央だ、って。


胸を張って、堂々と歩け、と。


他の誰でもない、あなたが。


健ちゃん、言ってくれたじゃない。


それも、忘れてしまったの?


死ぬ気か、なんて聞かないで。


分かるでしょう?


わたしに幸せばかりくれたあなたなら、そんな事聞かなくても、分かっているんでしょ。


ただ、もう、諦めたくないだけなのに。


やっきになって水をかき分けるわたしに、背後から覆いかぶさるように健ちゃんが飛び付いて来た。


どうして分かってくれないの。


睨みをきかせるわたしに、もうやめろ、無理だ、諦めろ、と。


真っ黒な瞳がそう言っているように見えた。


わたしは健ちゃんを突き飛ばした。


《最初から無い物だった》


健ちゃんがわたしの肩を掴んで、体を前後に揺すった。


《おれも、きみも……夢を見ていただけだ》


そう、だったのかもしれない。


とても幸せな夢を、ふたりで見ていただけだったのかもしれない。


〈健ちゃんは、そうだったのかもしれない〉