恋時雨~恋、ときどき、涙~

もうじき、この美岬海岸は黄昏時を迎えようとしている。


わたしはこぼれそうな涙を堪えて、健ちゃんを見つめた。


《それに、仕方のない事だ》


声が出なくなるのは、必然的な事だったのではないかと、健ちゃんが語り始めた。


《3年前から、おれは息をしていないのかもしれない。きみが居ない空間は、宇宙と同じだから》


酸素はないし、無重力で、ただ漂っているだけだ。


《だから、苦しくない》


つつ、と健ちゃんの頬を伝った涙が、シャープな顎に小さな水滴を作る。


その水滴が夕日色に色づきながらぽろりと落ちる様はまるで、線香花火のクライマックスのようだった。


《でも》


と健ちゃんが、


《この宇宙空間にも、ひとつだけ、耐え難い苦しさがあった》


と言った。


〈……それは、何……教えて〉


と聞いたわたしの手をふわりと捕まえて、健ちゃんは「ま、お」と口をぱくぱくさせた。


《振り向けばいつもキッチンに立っていたきみが、そこに居ない事が、唯一苦しかった》


ふと、思い出すと泣けて来てたまらない。


《毎日、そこに立っていて、いろんな音を立てて料理をしていたきみの姿が無くて……探したけれど、無くて……毎日、困惑するしかなかった》


泣けてきた時にはもう、涙があふれていた。


《きみの姿が無いキッチンに、綺麗な西日が射しこんでいるだけの毎日に、困惑して生きて来た》


わたしはいつも、日当たりのいいキッチンに立っていた。


そこに立って、健ちゃんの好きなハヤシライスを作るのが、大好きだった。


本当に、大好きだった。


それで、ときどきリビングを覗くと、いつも、いつも。


いつも、健ちゃんもキッチンを覗いていて。


ふたりで目を合わせて、


――〈何? 見ないでよ〉


――「なにー! 真央こそ、見るんじゃねんけ!」


なんて、同時に吹き出して笑っていたはずなのに。


わたしたち、とても幸せだったはずなのに。


変だね。


どうして……こんなふうになってしまったのだろう。


こんなに切ない思いをするくらいなら、あの頃、何だって乗り越えていられたはずなのに。


《他の女を、好きになろうと思った。好きになろうとした》


健ちゃんの手が伸びて来て、わたしの頬に触れる。


ひんやりと冷たくて、何かにおびえるように震えている手だった。


《美人も、性格のいい子も山のようにいた。すぐに、他の人を好きになれると思った》


わたしも、店長を好きになれると思っていた。


好きになろうとした。


好きになろうとして、好きになれるものじゃないことくらい、分かっていたはずなのに。