恋時雨~恋、ときどき、涙~

《自分のせいだと思っているのなら、やめて欲しい。それは、ただのうぬぼれだよ。迷惑だ》


健ちゃんも、眩しそうに目を細める。


するとやっぱり、その目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。


《それに、思っていたより、不便でもない》


わたしは、何も言い返す事ができなかった。


きみのせいじゃない。


苦しくない。


不便でもない。


と、まるで自身に言い聞かせるように手話をするくせに、猛烈に苦しそうな表情の彼を見ていると、言い返したくてもできなかった。


《でも……苦しい事もあった》


健ちゃんは本当に苦しそうで、見ているこっちが呼吸困難にでもなりそうだ。


《美味い物を食べても、綺麗な景色を見ても。面白い出来事があっても。教える事ができなかった》


一番に教えたい人が居なくなってしまったから、と健ちゃんが指さしたのは、


《きみが》


他の誰でもない、わたしだった。


《きみが隣に居ない事が……同じ空間から消えてしまった事が、何よりも苦しかった》


きみが醸し出す空気には、音が無かった。


静かで。


清くて、清潔で。


だけど、とても濃くて。


《きみは、おれの大切な酸素だったから。きみが居ない毎日は、とても、息が詰まった》


健ちゃんの手が、ふるふると震え始めた。


《だから、きみが居なくて、苦しくて、辛くて。声が出なくなった時、妙に納得した。酸素が無いと、人は声も出せない。それは当たり前の事だから、声が出ない事に、ほっとした》


健ちゃんが、自分の手で喉に触れる。


《声が出なくなって、ずいぶんと楽になった》


この人は、何を言いたいのだろう。


わたしには、どうしても理解できそうになかった。


声が出なくなって楽になれた、だなんて聞いた事がない。


見つめていると、ふと、健ちゃんが肩をすくめた。


《たぶん。おれが、こうなる事を望んだんだろうな》


降り注ぐ陽射しがまた一段、傾き始めた。