恋時雨~恋、ときどき、涙~

わたしには、名前があったのだと。


真央、なのだと。


武内真央というちっぽけな命が、確かに存在していることに。


『真央』


『あのな、真央』


『真央』


その声は聞いたことなどないし、これから先も、決して聞くことはできないけれど。


その唇がわたしの名前を呼ぶたび。


〈健ちゃんが、わたしの名前を口にするたび〉


泣きたくなるほど、嬉しくて。


〈その時だけは、健ちゃんだけのわたしになれた気がして、たまらなく、幸福だった〉


あなたの声を聞くことはできないけれど。


〈健ちゃんがわたしの名前を口にしてくれるたび、必要とされている気がして〉


いつも、胸が熱くなった。


幸せが胸いっぱいに広がって、やがては体中に染みわたって、いつも泣きたくなるほど、幸福だった。


彼は笑う事が大好きで、人懐こくて、おおらかで、真っ直ぐで、正直で。


〈あなたは、こんなわたしを好きだと言ってくれた。わたしのいちばん大切な人になりたいと、言ってくれた〉


ひだまりみたいなひとだった。


〈耳が聞こえなくてもいい、と。こんなわたしでもいいと。そのままのわたしでいいと言ってくれた〉


ひだまりみたいな男の人だった。


〈わたしも、あなたのいちばん大切な人になりたいと思った〉


気付いた時はもう、手遅れだった。


すとんと落ちたあとだった。


わたし、ひだまりに恋をしていた。


〈ずっと、一緒に歩いて行けると思っていた……信じていた〉


胸を張って自慢できるほど、立派な恋ではなかったけれど。


でも、誰にも負けない恋だった。


〈大きな幸せなんて要らない。誰も気付かないほどの小さな小さな幸せでいい〉


こんなひだまりのような人の恋人になれた事自体、わたしにとっては奇跡のような出来事だったから。