恋時雨~恋、ときどき、涙~

これまでほとんど表情に変化の無かった鉄仮面に、明らかな変化があった。


苦しみに耐え、もがき苦しむようにぐにゃりと歪んだ表情。


その苦痛の表情に、わたしはたまらず息を飲んだ。


《出て行って欲しい》


これまで眠るように静かだった黒曜石のような目が、殺気立っているかのように、血走っていた。


その眼力は凄まじいもので、息が詰まるような緊迫したものがあった。


《一体、いつまで居るんだ! どうすれば、出て行ってくれるんだよ!》


まるで、錯乱状態に陥ったように両手を振り乱すその迫力に、わたしは思わず後退してしまっていた。


《出て行ってくれ! 頼むから、どこか、知らないとこへ行ってくれ!》


すかさず健ちゃんが詰め寄って来て、まくし立てるように言った。


健ちゃんは浅瀬に立ち膝になって、何度も何度も、わたしに《出て行け》と繰り返した。


この町から出て行け、早く東京に帰れ、そういう意味だとわたしは思った。


だから、この場から立ち去らなければと思い、立ち上がろうとした瞬間だった。


《違う!》


と健ちゃんがわたしの腕を強く引っ張った。


圧倒されるわたしに、健ちゃんは激しい剣幕で両手を動かす。


《どうして、出て行かない?》


その迫力は鬼気迫るものがあって、わたしは圧倒されたまま、座り込んで固まるしかなかった。


健ちゃんは自分の左胸を人差し指で突き刺すように指して、


《ここから》


ぎりぎりと目尻を吊り上げた。


《どうして、おれの中から出て行ってくれないんだ》


必死になって手話をする彼から、目を反らす事ができない。


《ここには、いつも、きみが居る》


相当、興奮しているのだと分かる。


冷血だった顔に、赤みが差している。


《3年間、きみばかりだった。きみを想ってばかりの苦しい、3年だった》


健ちゃんの眉間は深い深いしわだらけ。


ここから、と左胸を指さして、健ちゃんはさらに表情を歪めた。


《追い出しても、突き出しても、無視をしても、つまみ出しても、どんなに酷い事をしても。きみはすぐに戻って来る。気付けばいつも、居る》


おれの中から出て行ってくれない、そう言った健ちゃんの手が何かにおびえるように、小刻みに震え出した。