恋時雨~恋、ときどき、涙~

《おれはまだ、記憶の中を生きている。たったひとりで。3年前を、生きている》


今、が過去なのか現在なのか分からなくなりそうで、わたしは不安になった。


おれは確かに生きている、と健ちゃんは言う。


《でも、ここに、きみは居ない。誰も、居ない。おれ以外、誰も》


と手話をした直後、健ちゃんは思い立ったようにすっと腰を上げた。


そして、無表情のまま冷たい色の目をして、へたり込むわたしの前まで来て、立ち止まった。


立ち上がろうとしているのに、まるで腰が抜けたようだった。


ぺたりと浅瀬に座り込んだまま、そこに立つ健ちゃんを見上げる。


水面に、すらりとしたシルエットが映り出して、ゆらゆら揺れる。


茫然としていると、健ちゃんはわたしの腕を掴んで、一気に引っ張り、立たせた。


《なぜ?》


わたしの顔の前で、健ちゃんの人差し指が左右に揺れる。


わたしも、同じジェスチャーを返した。


〈何、が?〉


わたしはもう、何が何なのか分からなくなり始めていた。


勝手に、想い出に、しないでください。


今さっきの健ちゃんの手話がずっと、ぐるぐるぐるぐる、目の奥でメリーゴーランドのように回転し続けている。


自分が泣いているとはっきり分かったのは健ちゃんの手が、わたしの頬に触れた瞬間だった。


《なぜ、きみが泣くの》


ハッとして、手のひらを頬に当てる。


海水とはまるで違う温度の水が、頬を濡らしていた。


《振られたのはおれなのに。なぜ、きみが、泣かなければならないのか、分からない》


きみが苦しむ必要はない、その手話を見た途端に、足から力が抜けて行きそうになった。


もう、だめなんだ。


本当に、そう思った。


わたしがどんなに必死に想いを伝えようとも、もう、この人には伝わらないのかもしれない。


本気で、そう思う。


こんな、魂を抜かれたように暗く冷たい目をしている、この人に。


何を、どうやって伝えたらいいのか。


もう、見当もつかなくなった。


悔しいはずなのに、でも、どうすることもできなくて、わたしは立ちすくんでしまった。