恋時雨~恋、ときどき、涙~

人魚姫さま。


あなたは、幸せだったのでしょうか。


足と引き換えに、声を失っても、幸せだったと言える人生だったのでしょうか。


わたしには足があります。


わたしは、この足で、逃げてしまったのです。


離れたくなかった。


失いたくなかった。


ちっぽけなあの幸せを、守りたかった。


でも、苦しさのあまり、わたしが壊してしまいました。


あなたが美しい声と引き換えに手にした足を、わたしは持っているのに。


その足で、幸せから、現実から、一目散に逃げ出してしまったのです。


わたしも、何かと引き換えに、耳を手にする事ができていたら、何かが変わっていたのですか。


悔しくて、涙があふれます。


人魚姫さま。


あなたは今、幸せなのでしょうか。


その後、どうなったのですか?


ぐん、と体が引っ張られる。


ハッと顔を上げると、健ちゃんが目を細めて、顎で砂浜を指している。


早く上がろう、と言いたいのだろう。


だけど、わたしは首を振って抵抗した。


ぶん、と健ちゃんの手を払い落とす。


〈わたしは、人魚姫のようにはならない!〉


健ちゃんは、意味が分からないとでも言いたげに眉間にしわを寄せて、


《勝手にすればいい》


と冷たく両手を動かした。


そして、


《雷が、鳴った。夕立がある》


とも。


ええ。


言われなくても、そうする。


勝手にする。


だって、わたしは、わたしだから。


わたしは人間で、人魚姫ではないもの。


彼女のように、何かと引き換えに何かを手にしなくても、自分で見つけてみせる。


もう、後悔に後悔するのは、たくさん。


〈勝手にする! わたしに構わないで、帰ればいい!〉


睨み合ったあと、先に踵を返したのは、健ちゃんだった。


その瞬間だった。


ガラス細工が割れて飛び散るように、何かがわたしのまつ毛に当たって弾けた。


突然、健ちゃんが立ち止まった。


健ちゃんが手のひらを上に向けて、空を見上げる。


ハッとして、わたしは上空を見つめた。