「橘…、どいて」
雲雀が掠れた声でそう言うが、いまの倫子には無理だった。
雲雀の足下にうずくまる倫子を雲雀が退かそうとするが、動けないでいる。
込み上げる嘔吐感に口を噤んだまま動けずにいると、雲雀が倫子の腕を取った。
力なく見上げると、体力を消耗した青白い顔。
その陰影すら、妙に艶やかさが増して、困る。
「ほら、」
雲雀に促されてなんとか立ち上がる。
ふらつく倫子を支えるように立たせ、雲雀は腕を引いて洗面所へと向かった。
トイレのドアを開けて、倫子を放り込む。
そのままドアを閉めて、自分は台所へと行ってしまった。
(ぅええ…)
気持ち悪い。
内臓が不規則に波打って、涙が溢れてくる。
嗅覚が敏感になっていて、芳香剤のにおいもなにもかもが、倫子を追い詰めていた。
(傀儡って…、リスクが高すぎる)
施術者にも被術者にも、こんなに負担が掛かるなんて―――これは相当なアダムが絡んでいる。
(なんてったって、あの雲雀が疲れてるのに)
ドアの向こう側で気配がする。
雲雀だ。
そのままトイレに籠もった倫子をスルーして、奥田と真醍のところに戻ったらしい。
その気配が遠ざかり、圧迫感が少し引いた。
あの巨大な力に、つい先程まで支配されていたのだと思うと、酷く、恐ろしい。
(……気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち、わるい)
さっき食べたご飯もなにもかもが、喉元にせり上がってくる。
(雲雀が、折角オーダーしてくれた料理も…)
地球滅亡を危惧してしまうほど貴重な優しさを、こんな形で裏切ってしまうなんて。
悔しくて悔しくて仕方なかったが、さすがに耐え難かった。
込み上げてくる涙を、えづきながら流しては唇を噛む。
―――雲雀に引かれた腕が、仄かに熱い。
(…雲雀が、優しい)
あぁ、泣きたい。
そうして倫子は、夕飯のみならず、涙までゲーしてしまったのだった。


