「ちょ、待っ、真鶸」
二人きりは、困る。
雲雀の細い体躯を腕で押し退けて、真鶸の後に続こうと立ち上がる―――。
「逃げるの」
踏み出した足を捕まれ、そのまま床に横転した。
…パタン。
真鶸が去ってしまったことを証明する、謙虚にドアが閉まる音が虚しく耳に響く。
「テメ、ちょ、待て」
「なにを」
ぐるりと勢いよく視界が廻ったかと思えば、テラスにぶん投げられた。
開け放たれたままだった窓を抜けて、テラスのタイルに強かに体をぶつける。
痛みに悶える倫子を雲雀は抱き上げて、テラスの手摺に腰掛けさせた。
後ろは絶壁。
下を見れば、血の気が退くほど高くあるその距離を実感する。
「…橘」
雲雀の腕は倫子を支えるように腰に巻かれ、いつもとは違う視線の位置に、俯く。
俯いてやっと、その青みの深い黒とかち合った。
(今、なにを考えてる?)
「…さむい」
真下から吹き荒む潮風は容赦なく体を叩き、思わず目の前の熱を抱き寄せる。
雲雀の小さな頭が丁度、顔と首の間に収まる形。
いつもより感じる雲雀の体温が、倫子の胸を焦がした。
「…ちょうだい、橘」
事も無げに言って、強く強く抱き寄せてきた。
寒さと眩みに息を飲み、素直に頷けないまま、雲雀のなすがままに揺れる。
(…きたないって、言ってるのに)
桐生に落とされた深い深い海はまだ、海面が見えないでいる。
暗く醜い海を泳いで、やっと捕まえた陸はこの世のものとは思えないほど、美しく。
(この醜く爛れた体で汚してしまっては)
―――掴むのを躊躇った私を、その美しい陸は引き上げた。
「…橘」
苦しみすら与えずに抱き込むことは、誰にだってできると雲雀は言う。
汚すことで君が満足するなら、汚せばいいと。
汚したくないとしても、触れればいい。
「僕は汚れないよ」
だってとうの昔に、君に奪われているのに。


