「母を、救わなくては」
いつしか暗闇は微熱を孕み、「私」の腹を食い破ろうとしていた。
抜け出したいと嘆いていたのか、或いは純然たる反抗であったのか。
ヒュ…――――。
世界は、こんなにも冷酷で、慈愛に満ちている。
「桐生…?」
(白濁はただ、闇しか視えない)
神はいつしか倫子の目の前から消えていた。
「…桐生さま」
潮風が耳を塞いでいた。
音もなく緩やかに頭を垂れた男を、その男に付き従うかのように寄り添っていた少女が呼ぶ。
―――返事はないと、わかっていた。
「…死んだの」
静観していた雲雀が少しばかり浅く吐き出す。
視線の先にある幾田桐生の骸は、双子によって優しく横たえられたところだった。
つい、と倫子の足が動く。
動かなくなったその体を見据えながら、倫子はただ震えるしかできない。
(なんで、震えてる…?)
この体と生涯のすべてを滅茶苦茶にした男が今、静かに息を引き取ったのだ。
倫子を化物にして、そうして最期は雲雀までただの人にしてしまった。
「…橘」
雲雀が呼ぶ。
それはまるで風のように倫子の耳を通り抜け、彼女を止める要因にはなりえなかった。
爪先が桐生の体に触れる寸前、覚束無い足はやっと倫子の意思を反映するように立ち止まる。
「…桐生」
真上から見下ろした白濁の瞼は閉じられ、象徴であった白は見えない。
握った拳を開く術を、倫子は知らなかった。
「きりゅ、…」
命絶えてしまった桐生は穏やかな顔をしている。
(…それはそうか)
肩の荷を全て雲雀に託して逝ってしまったのだ。
「…あんたは、」
結局、なにをしたかったのだろう。
なにを変え、なにを産みだし、なにを続けたかったのか。
「…わかんないよ、桐生」
私は一体、どうしたいの。
まだ殴り足らないと泣き喚けばいいのか、ただ生き物の死を嘆けばいいのか、すべてを赦せばいいのか。
何故こうも安らかに、私の前で逝ってしまったのだろう。
「バカヤロウ…」
頬を伝った涙は、屍に添える花となりうるだろうか。
―――神よ。
神よ、神よ、神よ。
白濁はいつしか世界の濁りとなり、悲しみを嘆く。


