彼は私に今のところの体調を

淡々と問診したあとで

精神状態を尋ねた

「…気持ちのほうは…なにかサポー

トする必要があるなら言ってもらい

たいんだが」

私を見ずに彼は

カルテに目を落とした

私は彼に話し掛けた

「特にありませんが…ひとつだけ…

先生に聞いてもらいたいことがあり

ます」


彼は不意をつかれたような顔をして

黙って私を見た


「…ひとこと…お礼がいいたくて」

それを聞くと彼は苦々しい顔をし

半分怒ったような口調で言った

「なにをだい?…私に何のお礼を言

われる理由がある?…冗談じゃない

…こんなことになって…」

「…海で」

「…海?」

「私が死のうとしたとき助けてくれ

ましたよね」

「…」

「私は本当に死なせて欲しかったん

ですが…先生に抱きとめられたとき

人の温かさと…私はこんなに苦しか

ったんだと気づいて…あの温かさが

記憶を失った絶望の中の私にとって

…唯一欲しいと感じたものでした」

「…そんなつもりでは…」

「…ええ…わかってます…でもなに

もかも望みを記憶と一緒に無くした

私には望むことがあったこと自体が

思いもよらぬことで…それに気づい

た時には…逆に苦しかったです

…あの担当医師にいいようにされて

いたのも…温かさを味わってしまっ

た私の壊れた心には…あれも人の温

かさの代わりにはなって…絶望の中

ではきっとあんな魔界しか…受け入

れられなかったんだろうと…彼にも

有り難いとさえ…今は思えます」


私は少し笑った


「…恋愛ではないです…彼にも

あなたにも…例え私が

同性愛者だとしても…温かさは…

人の存在そのものだから…」

「…」

「あの気持ちはこの苦しい時間の

支えになりました…だから逝く前に

お礼が言いたくて」

「…わたしに?」

「ええ…ありがとう」

私は彼に笑いかけた

「それが言えればもう…思い残すこ

とはありませんから」