「…なにも」

私は小さく答えた

「ん?なんだね」

「…なにもどうしようと思ってはい

ません」

「…そうなのか…?」

「そんな気力もないですし…辛かっ

たですが…恨みはそれほどあるわけ

じゃないので」

「…」

「自分が誰かわからないほうが深刻

です…ある意味気が紛れた」

「では告発も賠償もせずに?彼にも

この病院に対してもか?」

「はい」

「…驚いた」

「そうですか」

院長はしばらく黙りこんでいた

「非常事態だからな…こちらの側と

しては」

「まあ…わかります」

彼は明け透けな言い方をした

「君がそんな心境だとは想像もつか

なかったな」




彼は机の一番上の引き出しを開け

中から封筒を取り出した

「小切手で200万ある…一切なかっ

たことに」

私は少し驚いた

口止め料だ

それも200万の

「言いませんよ…もらわなくても」

「いいや…これは取ってもらう

それにこの書類に約束もね」

彼はワープロ打ちの簡単な文書を

封筒から取り出した


〔…ということで、今後一切このことについての発言及び告発をしない…〕


「サインをしてもらいたい」

私という脅威から

病院を完全に守ることは出来ない

ただ心理的に少しだけ

私に負い目を作る

それでもしないよりする方が良いと

院長は判断したのだろう

何の効力もない誓約書に

署名をして

小切手を受け取った

「ではあとは彼に」

「…では」

再びナースが呼ばれた

車椅子を押されて

院長室から廊下に出ると

青年医師が立っていた

「後で病室に行きます」

「…はあ」


彼は私と入れ違いで

院長室に入っていった