そして、ぺんちゃんにやっと連絡をした。


冷静に私は、事細かく説明した。


そして、隣りの奥さんに見てもらってるチョッ君を迎えに行ってあげて……も、頼んだ。


ぺんちゃんは、うろたえる事なく仕事があと少ししたら終わるから終わったらすぐにチョッ君を迎えに行き2人で病院に行くと言った。


救急車が、うちに来てここまでの時間は、1時間程。




私は、1人、誰もいないロビーに腰掛けて、さっき買っておいたジュースを飲んだ。



一気に気が抜けた…。


涼也がいると言う現実は、もしかしたら今後も何回か救急車を呼ぶような事があるのか?


だけど、今回の事で涼也がどれだけ大切か分かった私。


そして、私は母なんだと改めて自覚した。



それから、涼也の普通は私にしか分からない事も当たり前だけど思い知らされた。


もし知的障害じゃなければ、私しか分からないなんて言葉は無かったかも。


今まで気乗りしなかった療育手帳の申請をしてみようと初めて思った。


正式に知的障害とは言われていない。
だけど目で見て分かる現実。
誰が見ても発達発育遅延だと。


療育手帳を作って、国に知的障害者と印を押されるのが嫌だった私。


だって、まだ、現実って分かってるけど………でも我が子が知的障害者だと認めたくなくて地元の友達にも告げてない。
療育手帳を持てば皆から知的障害者だと認知される……これを私は今迄、拒み続けて来た。