はじめは病院にいったり薬を飲んだりもしたが、一向に改善されず、教室→吐き気→保健室の流れが、いつのまにか直で保健室になったのだ。


保健室の先生である猿沢先生が理解のある人だったので、私は机をひとつあてがわれ、そこで勉強することができた。


とは言っても、体育だけは参加できる。
音楽などは、たとえ音楽室であっても教室っぽい場所は無理のようだった。


「あぁ、もう昼休みかぁ」

私は言った。


正彦は校庭でサッカーをしているらしい。