軽い咳払いをして姿勢を正すと、隣の方から琢磨たちの会話が聞こえてくる。
『あたしのノート見せたげよっか?』
『おぉ!みっちぃありがとー!!』
『声でかっ。へへっ嘉人くんのノートより正確じゃないけどね。にしても嘉人君すごい真面目だよね、何目指してるんだろ。』
『確かになー、まぁあいつの事はあいつにしかわかんねえよ。じゃぁ借りるわ、ありがとね。今度君にはチロルチョコをあげよう。』
『あ、だったらきなこもちにしてね。』
俺も、好きで勉強しているわけではない。
琢磨が陸上をやるのと、俺が勉強をするのには決定的な違いがある。
俺にはそれしか選択肢がなかったのだ。
* * *
『ただいまー。』
“●岡こども園”
ペンキでそう書かれた傷んだ木の看板が立っている古びた施設が俺の家だ。
中に入ると、ドタドタと階段を駆け下りてくる音がする。
『よし兄ーー!!』
『うぉ!』
現われると同時に飛び付いてくる子供達の頭をぐしゃぐしゃにする。
きゃっきゃとあどけない声に包まれる。
奥の部屋に進むと、まだ一歳の赤ん坊が騒がしさのために泣きだす。
『だーっ、ほら、お前らがうるさいからー。』
『大丈夫っカオリが泣きやませる!』
3歳児が、赤ん坊にいないいないばあをする。
なかなか泣き止まないので脇の辺りをつっつく。すると泣き声は次第に笑い声に変わっていく。
『‥赤ん坊って、なんで笑うんだろうな。』
『なんか言った?よし兄たまに声小さくて聞こえないよお。』
『はは、いや。』
赤ん坊も、小さな子供も、笑う。
目の前のものが、悲しい思い出に比べて楽しいからではなく。
本当に純粋に、笑う。
その景色は俺には眩しかった。
『あ、園長先生ー!』
一人が俺の背後の人物を見て声をあげた。
俺は黙って、背筋をのばした。