浴室の扉を開くと、すごい形相で脱衣所に入ってきた高瀬とはち合わせた。

私の手首をつかみ、傷がないのを確認すると、すごい力で抱き締められた。

身動きがとれないどころか、手足の感覚がなくなりそうなほど。


『いかせるかよ‥』

耳元でつぶやく。

きっと、血だらけの教室を思い出しているのだろう。

息を噛み殺しているかのように、苦しそうに呼吸をしている。

暴れる鼓動が伝わってくる。


『‥じゃぁ、いつになったらいいの?』


私は静かに聞いて、うっすら笑った。


このまま彼の前から消えたら‥『私本当に最後まで、文子さん二号だね‥。』


高瀬は言葉を失い、力をゆるめた。


あの日、彼を救いたいと、切に願ったのに。
私はその傷を鋭利な刃物でえぐっているのだ。

さっきの指の血が固まってきたのを、他の指で触る。

背中で隠しながら、かさぶた代わりのその固まりを剥がし、そこに爪を食い込ませる。

顔が歪み、声がもれそうになる。

彼の泣きそうな目をみていたら、こうせずにはいられなかった。



高瀬は静かに立ち上がり、私に「来い」というように顎を動かした。

ついていくと、彼は引き出しから厚みのある原稿用紙の束を出し、私に渡した。

昔のものなのか、少し端が変色して、独特の香を醸し出している。

『‥何‥‥?』


タイトルを見た。



『「ビター」 沖野文子』

————‥‥‥これ‥


『あいつの小説。あいつの部屋にあったんだよ。』


この原稿に、何粒の彼の涙が染み渡っているのだろう。

この字を、何度指でなぞったことだろう。


『‥‥たかせ‥‥‥』


手に力をこめずにいられなかった。


頭の中で高瀬が、彼女の名を呼び声を枯らすから。


『お前なら読んでもいいと、あいつも言ってくれると思う。』


『‥なんで、今‥私‥‥?』


『今、渡せって、言われた気がした。読めばわかる。』




それは、精神病患者同士のラブストーリーだった。