『うるさい! 可愛い可愛い彼女とデートできんのよ? 分かってんのかよ、ほ、け、つ!』

「分かってるよ! 電話で叫ぶなよ、耳が痛い」

数センチ携帯電話を耳から離しても、翠の声は素晴らしく鮮明に届いた。

電波の向こう、翠の背後で大笑いしているのは、さえちゃんに違いない。

『待ち合わせは9時に変更! 彼氏なら迎えにきやがれ! あたしが襲われでもしたらどうする気だ』

「はい、すいませんでした!」

『よし。じゃあ、自転車で迎えに来て』

翠はおれと自転車で二人乗りをするのが好きならしく、いかなる時でもおれに自転車で送迎させる。

おれの後ろに乗っている時の翠は、別人のようだった。

まるで、借りてきた猫のように大人しかった。

おれの腰に細い腕を絡ませて背中に頬をべったりとひっつけて、あまり会話をしたがらない。

付き合って以来、朝はおれの自転車に乗せて、健吾と3人で学校へ向かうようになった。

おれと翠が付き合った事を知った時、

「この世の破滅の時が、ついに来たか」

と健吾は頭を抱えて、うんうん唸っていたけれど。

豪快なフランス人形と付き合って半年、4つ巡る季節は春になっていた。

おれの部屋はそれなりにきれいで、本棚には中学の頃から毎月買い込んできたベースボールマガジンが、列をなしてからりと並んでいる。

部屋の西側にはベッドがあって、夕方になると窓から西日が射し込む。

窓の外には小さな川が流れていて、たまに魚がぴょんぴょん跳ねる。

出窓には薄汚れた練習球と、1枚の写真が並んでいた。

なごり雪に見舞われた卒業式の後、相澤先輩がおれにくれた、彼が使い込んできた練習球だ。

そして、硝子細工の写真立ての中では、だらしなく制服を着崩している翠と、照れ臭くてたまらなそうなおれが笑っている。

おれはベッドの上であぐらをかきながら座り、写真の中の翠を見つめて笑った。

「じゃあ、明日。迎えに行くから。行きたいとこは翠が決めていいよ」

2人でどこかへ出掛けるなんて、滅多にないことだ。