「旦那さま、旦那さま」
「…………なんだ」

桜子が声をお掛けすると、旦那さまはきまって不機嫌なお顔をなさいます。

旦那さまがしかめっつらなのはいつものことなのですが、あのかたは桜子に特別冷たい気がするのです。


桜子は、反物屋や庭師から「奥さま」と呼ばれるだけでも、嬉しくてたまらないのに。

旦那さまは、旦那さまと呼ばれるのを厭われておいでなのでしょうか。



桜子は。

桜子は、知っています。
希まれて旦那さまに嫁いだわけではないことを。
旦那さまが本当にお希みだったのは、お姉さまだということを。

しかしお姉さまは頭領娘。
父さまが許すはずがなく、旦那さまに嫁いだのは桜子でした。

桜子はお姉さまの代わりです。それでも、桜子は満足でした。

たとえお姉さまの代わりだとしても、旦那さまのおそばにいられるだけで、十分だった、はずなのに。


いつからなのでしょう。
あのかたの瞳に映りたいと願うようになったのは。

桜子は、わがままです。


桜子にこんな気持ちを教えたのは、旦那さまなのですよ。


知っていますか、和樹さま。
貴方がお姉さまに惹かれたあの夜、桜子もまた恋に落ちていたということを。