放課後、キス、しませんか

 金曜日の帰り道、直人がぴたりと足を止めた。

「ちょっと、コンビニ寄っていい?」

「うん、いいよ」

 答えながら、紗季は、自分が即答したことに少し驚いた。この一週間で、「いいよ」の速度が、すこしずつ上がっている。

 駅へ向かう道の途中に、いつも通り過ぎるコンビニがある。自動ドアが開くと、冷房の効いた空気が、ふわっと顔に当たった。

「シャー芯、切れてたのを思い出して」

 直人は、文房具の棚のほうへ歩いていく。紗季は、飲み物の冷蔵棚へ。

 紙パックのミルクティー。下から二段目、右から三番目。いつものやつ。

 迷わずに手を伸ばして、押し出すように取り出す。パックの表面に、小さな水滴が乗っている。

「それ、好きだよね」

 すぐ後ろで、直人の声がした。

 紗季は、びくっと肩を震わせた。振り向くと、直人が、シャー芯のケースを手にして立っていた。

「……よく覚えてるね」

「前に、飲んでたじゃん」

 彼は、それ以上は何も言わない。説明も、弁解もしない。ただ、見たことがあるから、覚えている。そういう顔だった。

「……うん。これ、好きなんだ」

 紗季は、紙パックを両手で握りしめた。

「いつもこれだよね」

「え。いつもって、どのくらい?」

「どのくらい? えと、ね。ざっと、毎日っていうか」

 毎日。

 紗季は、その言葉を、頭の中で転がした。

 毎日は飲んでいない。一週間に、三回くらい。気分で、もうちょっと多い。でも、直人の目には、「毎日」に見えていたらしい。

 つまり、それだけの頻度で、目に入っていたということだ。

 紗季は、そこで考えるのをやめた。この先を考えたら、レジの列に並べなくなる。
会計は、別々に済ませた。

 コンビニの前の縁石に、二人で腕をかける。座るというほどでもない、ちょっと寄りかかるだけの姿勢。

 紗季は、パックに付いているストローの袋を、ゆっくり剥がした。

 紙の袋を、しわにならないように、小さく折りたたむ。これは、癖になっている。演技でもない。

「折るんだ」

 直人が、缶コーヒーのプルタブを起こしながら、ちらっと見た。

「え。あ、うん。癖で」

「へぇ」

 それだけだった。

 紗季は、笑うべきかどうか迷って、結局、折りたたんだ袋を、もう一回折った。指先が、少しだけ落ち着かない。

 この人は、紗季が何をしていても、「へぇ」で終わらせてくれる。それが、楽で、でも少しだけ、物足りなかった。

 缶コーヒーを一口飲んで、直人は、距離のあるポストを眺めている。

 紗季は、その缶を、横目で見た。

 無糖。黒くて、地味なデザイン。

 今日、直人がここで飲んでいるのは、いつものやつなのだろうか。

 紗季は、ここにいる直人が、いつも何を飲んでいるのか、知らない。

 彼は紗季のミルクティーを、見ていた。紗季は、直人の飲み物を、見ていなかった。

 これは、少しだけ、分が悪い気がした。

「……三浦って、缶コーヒー、よく飲むの?」

「うん。家にもあるから」

「家に?」

「父さんが、いつも買ってくる」

 紗季は、「へぇ」と返した。

 さっき直人が使った言葉を、そのまま。直人は、縁石の上で、ちょっとだけ肩を揺らした。

 駅へ向かう途中、紗季は、ポケットの中で紙の袋をいじっていた。

 さっき折りたたんだ、小さな四角。いつもなら、コンビニのゴミ箱に捨てる。今日は、捨てられなかった。

「あのさ」

「うん?」

「明日も、帰る?」

 自分の口から出た言葉に、紗季は、すぐに後悔した。明日は土曜日だ。学校は、休みだ。

「……あ、ごめん。間違えた。来週のこと」

「うん」

 直人は、笑わなかった。驚きもしなかった。ただ、一拍だけ間を置いて、言った。

「月曜。帰れると思う」

 紗季は、足を止めそうになって、止めなかった。

 彼の返事は、いつも、聞いたことに、そのまま答える。先回りしない。でも、聞かれなかったことも、ちゃんと、拾っている。

 その素直さが、紗季には少しだけ、うらやましかった。

 紙の袋を、ポケットの奥へ押し込む。

 月曜の放課後。紗季は、缶コーヒーの棚の前に立って、直人がどれを選ぶのか、こっそり見てみようと思った。