翌朝、おれは教室の机に、先生に頼んで印刷してもらった昨日の写真を並べていた。
新見さんから借りたカメラも、机の端に置いてある。写真には、砂の上を子島のほうへ続く靴跡が写っていた。黒板を書き換えた人がつけたものかもしれない、と考え始めてから、一列の跡が気になって仕方ない。
「この先、どこまで砂があるの?」
登校してきた澪が、鞄を下ろして写真の右端を指した。
「ここまでは柔らかい。あとは石が混じって、跡が残りにくい。もっと向こうに砂の場所もあるけど、浜からは岩が邪魔で見えん」
「岩の向こうにも砂があるの?」
「ある。でも砂ばっかりの道じゃなか。石が出て、また砂になる。どこに跡が残るかは場所による」
おれは写真の端から見えない岩の向こうまで、指先で道をつないだ。子島への道は地図で一本の線になっていても、歩くと足元が何度も変わる。
「帰るなら、同じところを通る?」
「普通はそうやな。でも、船に乗って帰ったかもしれんし、おれが写真ば撮る前に、別の道から戻ったかもしれん」
登校してすぐ、春日先生と元の画像を学校のパソコンに写し、戸田巡査にも渡していた。巡査は船員に岩の位置と通過時刻を確かめるという。こちらもカメラの時計が合っているか、まだ確認できていなかった。
「こっちの足跡、少し大きくできる?」
澪に言われ、印刷した写真ではなく元の画像を開いた。黒い靴底の模様が、画面いっぱいに広がる。最初は、細い線が何本も走っているだけに見えた。
「ここ、一本じゃない」
澪が指したのは、かかとの四角い跡の端だった。その隣に、同じ形の角が少しずれてついている。次の跡にも、その次にも、薄い二本目の線があった。
「踏み直したんかな」
「一歩だけならそうかも。でも何か所もある」
おれは元の大きさへ戻し、もう一度拡大した。砂の細かなへこみまで見ていると、隣同士だと思っていた線が、同じ跡の中に重なっていると分かる。最初に画面を見たときは、靴底の模様はきれいな一本だと思い込んでいた。
「行った人が、帰りにも同じ跡を踏んだとか?」
「できるのかな。普通に戻ると、つま先が反対を向くよね」
おれは写真を机に置いて、自分の足元を見た。靴をそろえて立ってみても、前へ進んだ跡のまま帰る方法は思いつかない。
「後ろへ歩けば?」
澪が言った。おれは椅子を引いて、一歩だけ下がってみた。
「机の下では試さんでよか」
ちょうど入ってきた春日先生に言われ、二人で顔を上げた。
放課後、先生と一緒に南の浜へ行った。潮の道の入口ではなく、道から離れた高い位置の、乾いた砂が広がるところだ。先生は海側を見てから、「ここだけで試そう」と足元の砂を示した。
「何歩くらいで分かる?」
「五、六歩で十分です」
澪が答えると、先生は「じゃあ、航が歩いてみよう」と言った。
おれはまっすぐ六歩進んだ。砂には靴底の筋が並ぶ。振り返って戻ると、今度は反対向きの跡が横にできた。先生は二つの列を少し離れたところから眺めて、「これは海の近くまで行かなくても分かるな」と言った。
「これは簡単に分かるね」
澪がしゃがみ、二列の間を指で示した。
「じゃあ、もう一回。今度は後ろ向きで戻る」
おれは新しい砂の上を六歩進み、振り返らずに片足を後ろへ出した。最初の足跡へ靴を置こうとしたが、かかとが少し外れた。
「あっ、ずれた」
「前を向いて歩くのと違うね。足元をよく見て」
先生の声に従い、無理に遠くへ足を伸ばさず、ゆっくり下がった。二歩目はうまく重なった。三歩目ではつま先がずれ、砂の線が二重になった。前に進むときは気にも留めない自分の歩幅が、後ろへ下がると急に分からなくなる。足を一度置くたび、首を曲げて跡を確かめた。
「ちょっと待って。これ、写真撮ってよか?」
持ってきたカメラを先生に渡し、おれは足跡の外へ出た。先生が撮った画面では、最初の一列しかないように見える。拡大すると、筋がずれたところだけ二本になっていた。
「昨日の写真と似とる」
澪が画面を左右に切り替えた。確かに似ている。けれど、昨日の跡のほうが長く続いている。
「今度はわたしがやる」
澪はおれがつけた跡の横に、新しく数歩分の足跡を残した。後ろへ下がるとき、靴の先を何度も動かしている。三歩ほどでバランスを崩しかけ、すぐ横の何もない砂に足をついた。
「難しいね。後ろに何があるか分からない」
「だから短いところでしか試さん。危ないところをまねする必要はないよ」
春日先生が言い、そこで実験を終えた。
おれは二人が残した足跡を見下ろした。振り返って歩けば二列になり、後ろ歩きで同じ跡に足を入れれば、一列に見える場所もできる。ただ、少し外れただけで二本の線になる。
「ということは、あの人も、行って戻った?」
「そういう戻り方なら、片道みたいに見せられる。でも、実際にそうしたかは、まだ分からないね」
澪は紙の写真を砂の上にかざした。
「これ、先生にも見てほしかった。変に重なった線が、ただの砂の模様じゃないかどうか」
先生は二枚の写真を見比べた。
「似た形はあるね。ほかの理由でずれた可能性もあるから、巡査さんには再現したことも伝えよう」
おれは海のほうを向いた。昨日の靴跡があった砂は、今日は濡れていて、どこにも同じ模様が見えない。
「最初は、子島から戻っとらんように見えたんよな」
「うん。行きの跡だけだと思った」
「同じ向きに足ば重ねて戻るとは、思いつかんかった」
澪は写真をたたまず、クリアファイルへ戻した。
港へ戻ると、新見さんが待合所の軒下でカメラの手入れをしていた。借りたカメラを返す約束をしていた日だ。
「どうだった、島の写真は」
「貝殻は撮れた。あと、足跡」
おれがカメラを差し出すと、新見さんは手を止めた。
「足跡?」
「砂に残った靴の跡です。ちょっと変なのがあって」
澪が画面を見せた。新見さんは写真を眺めて、少し笑った。
「いいところに目をつけたね。砂の上には、風の跡も、動物の足跡も残る。人が歩いた跡だって、朝と夕方じゃずいぶん違う顔になる」
「昨日は、これが一列に見えたけん、誰も戻っとらんかと思った」
「一列に見えるんだ。へえ」
新見さんは画面を拡大し、かかとの線の重なりを見た。
「撮る角度によっては、浅い線が消えることもあるよ。斜めから光が当たると、今度は小さなへこみが見やすくなる」
おれは昨日の朝、影のある側から靴跡を撮ったことを思い出した。足跡の向きを確かめようとして、同じ位置から何枚も撮っていた。
「別の側からも撮ればよかった」
「初めて借りたカメラで、そこまで気づくのは難しいさ。ちゃんと元の写真を残してるなら、十分だよ」
「砂しか写っとらんって、最初は思ったとに」
「僕なら、砂だけの写真を一日撮っていられるよ」
「魚ば撮るより楽しいと?」
「それは魚にも失礼だな。どっちも、同じ形のものは一つもないからね」
新見さんが本当に楽しそうに言うので、おれは自分の撮った貝殻の写真をもう一度見たくなった。
新見さんはカメラの画面を戻してから、白い袋と人影の写った写真を見つけた。
「これは何?」
「潮の道の向こうのほう。白い袋みたいなのが写っとる」
「撮影用の砂袋かもしれないね。三脚なんかが動かないように、重しとして置くことがあるんだ」
「新見さんも使うと?」
「風がある日はね。でも、これだけ小さく写ってたら、中身までは分からないな」
澪が横から写真を見た。
「新見さんは、あの朝はどこにいたんですか」
新見さんが顔を上げた。おれは思わず澪を見た。先に撮影の話をしていたのに、いきなり誰がどこにいたかを聞くと、まるで犯人を探しているみたいだ。
「日の出を撮りに、東の浜へ行ってたよ。潮の道とは反対側」
「そうですか」
「何かあったの?」
おれは黒板の時刻が書き換えられたことと、船の人が子島側に人影を見たことを話した。新見さんは最後まで聞いてから、カメラを膝に置いた。
「それで、砂の跡も調べてるんだね」
「うん。巡査さんにも写真ば見てもらった」
「そうか。早く分かるといいね」
新見さんはレンズの蓋を確かめ、鞄へ入れた。
「写真のデータは、もう移した?」
「先生と一緒に、そのまま写した。巡査さんにも渡したよ」
「なら安心だ。僕のカメラの中の分も、しばらく残しておくね」
返してしまうと首元が妙に軽かった。おれは礼を言い、新見さんが手を振るのを見てから歩き出した。
港からの帰り道で、澪が一枚の紙を広げた。島の形を大きく描き、海と山を簡単に塗り分けた地図だった。
「さっき、新見さんに聞いたこと、怒ってる?」
「怒っとらん。ただ、急に聞くけんびっくりした」
「ごめん。あの日の朝も写真を撮っていたなら、何か見てないかと思って」
「それなら、何か見ませんでしたかって聞けばよかったやろ」
澪は地図に目を落とした。おれもあの朝のことは気になっていた。聞きにくくて、聞けなかっただけだ。
澪は地図の西に灯台、南西の高台に見張り小屋の印を入れた。次に北の港から子島の脇へ向かう船の線を引く。潮の道の入口には、小さな丸をつける。
「四月の光と、七月の黒板と、昨日撮った足跡。場所を並べてみると、こうなる」
海を挟んだ三つの印の間を、おれは指で追った。見張り小屋からの光が届いたかもしれない方向と、船が通る場所と、潮の道。そのどれも、南側の海を向いている。
「ヒジキが行ったのは、こっちやろ」
おれは山側の貯蔵室を指した。澪が四つ目の丸を書き入れる。
「そう。猫の場所だけ、山側なんだよね」
澪は地図の端を押さえた。おれも反対側を持ち、風でめくれないようにした。

