陸が手を下ろしたところで、環に呼ばれた。
「一番、こっちを手伝って。部品を種類ごとに分けたいの」
おれはもう一度、模型の頭を見た。陸が指していた右耳のそばには、細い継ぎ目がある。何かを開けられるようになっているのかもしれない。
「陸、さっき何か言った?」
「あ、はい。あの……」
「一番、これ、転がる!」
環の押さえていた部品が、実験台の端から落ちかけた。おれは駆け寄って受け止めた。
「悪い、あとで聞く!」
振り返ると、陸はうなずいていた。
中央に置かれた部品は、どれも普通の人体模型より大きかった。腕の骨らしい長い棒、平べったい板、先端が曲がったもの。細い金具のように見える部品まである。
おれは、小さな輪に二本の脚がついたような部品をつまんだ。模型の指の骨とは形が違う。環が『長い』『平たい』『その他』と書いた紙を並べた。
「形で分けよう。あとで使う場所を調べればいい」
「体の部分ごとに分けたほうがいいだろ」
恭平が言い返す。
「どこの骨かわからないから困ってるんでしょ」
二人の間に部品を置いたまま、おれは肩をすくめた。
「骨までクラス分けか。大変だな」
環が笑いかけたが、恭平は笑わなかった。
「遊んでる場合じゃないだろ」
「はいはい、すみません」
おれは輪の形をした部品を『その他』の紙に載せた。理科室の時計は十二時十五分を指していた。黒板には『余った一本を、空いている場所へ返せ』とある。台にある部品のうち、どれか一本を模型の中へ戻せばいいらしい。
「ここ、見て」
ひよりが壁を指さした。
模型の背後に、人体の骨格を描いた大きな図が貼られている。全身の図の周囲に、手足や頭の細部を拡大した絵があった。
「この図と比べればいいんじゃない?」
「それだ!」
おれは図に近づいた。
指の骨まで一本ずつ描かれている。左手と右手、足首の骨、背骨。端には『右耳の内部』という図もあり、耳の穴の奥に三つの小さな骨が連なっていた。丸い頭のついたもの、先が曲がったもの、それから細い輪のようなものだ。
陸がその図へ近づいた。右耳の絵と模型を交互に見ている。
「おい、脚がおかしくないか」
大河が模型の前でしゃがんだ。
「ここ、図には二本あるのに一本しかねえぞ」
恭平が図を見上げ、模型の脚を確かめる。
「本当だ。すねの細いほうが見えない」
「こっちに長い骨がある。これじゃねえの?」
大河が台の上から一本持ち上げた。
模型の脚には太い骨が一本あり、その横が空いているように見えた。おれもそばへしゃがむ。
「長さも合いそうじゃん」
「待って。左右を比べよう」
恭平は模型の反対側へ回った。
右脚の外側は、台座の支柱に隠れている。環が台座を押さえ、おれと大河で模型の向きを少しずつ変えた。
陸がこちらへ来た。
「あの、耳のところも何か足りない気がして」
「耳?」
おれは顔を上げた。
「図にあるのと、模型のが……」
「こっちを先に確かめさせてくれ」
恭平が脚から目を離さずに言った。
「今動かすと、また支柱に隠れる」
おれは台座を支え直した。陸が立ったままでいるのを見て、壁の図を指した。
「耳のほう、印をつけといて。これが違ったら、次に見よう」
「……はい」
陸は図の前へ戻った。
大河の持っている部品は、図にあるすねの骨によく似ていた。ここがわかればすぐ終わると思った。けれど、模型の脚の裏側をのぞき込むと、細い骨は太い骨に重なっていた。
大河が持つ部品は端の形も図と違い、欠けていると思った場所には、ちゃんと骨がついていた。
大河は部品を下ろした。
時計は十二時四十分を過ぎていた。
それから左右の腕と脚を確かめた。図では離れて描かれている骨が、模型では重なっている。取り外せる部分もあれば、関節ごとつながっている部分もあった。
環が調査済みの部品を確かめるたび、恭平の作業が止まった。ひよりは横で部品を描き始めていた。
「どれを調べたか、わからなくなるから」
おれは環に絵の番号をつけてもらい、調べ終えた部品には丸をつけた。同じものを二度調べていたことにも気づいた。一時半になるころ、手足に欠けた骨は見つからず、小さな輪の部品も残っていた。
栞が壁の図へ近づいた。
「右耳に、似た形がある」
陸が顔を上げた。おれも図を見る。
三つ並んだ耳の骨の最後に、小さな輪が描かれていた。
「陸が言ってたの、これ?」
「はい。模型にも、耳の中が見えるところがあって」
陸は模型の右側へ回った。
耳の奥に透明な部分がある。おれがのぞき込むと、暗い影の中に小さな部品が見えた。
「何個ある?」
「こっちからだと、二つに見えるんです」
おれは顔の向きを変えた。丸い頭の部品と、先の曲がった部品。図の最後にある輪は見えない。
「二つだ。栞、こっち」
「これが入るんじゃない?」
栞は台から輪の形の部品を取った。
恭平も図と模型を見比べた。
「形は合ってる。大きさも、模型の耳ならこのくらいかもしれない」
「じゃあ、入れてみようぜ」
おれは模型の頭を見た。
耳の後ろから首の付け根へ向かい、細い線が走っている。頭の後ろ半分が外れるようになっているらしい。三番が両側へ手をかけた。
「一番、前を支えて」
「わかった」
三番がそっと引いた。
動かない。おれも押さえる位置を変えてみたが、頭は台座ごと揺れるだけだった。
「待って、割れる」
大河が言った。
「どっかで留まってるんだろ。無理に引っ張るなよ」
恭平が頭の後ろを調べた。髪の形に作られた出っ張りの下に、小さなくぼみがある。その脇には、塗料が薄くなった三角の印がついていた。
「ここかな」
指で押しても動かなかった。三番が角度を変えて確かめる。
「三角の先は、下に向いてる」
「下に押すってこと?」
「そうかもしれない」
栞が台座を押さえ、おれが頭の前側を支える。恭平がくぼみに指をかけたが、指先が滑った。
「狭くて力が入らない」
「工具、探そう」
環が棚へ向かった。
棚には教材の箱が何段も積んであった。人体模型の説明書を探したが、出てくるのは顕微鏡や実験器具のものばかりだった。三番が奥から工具箱を見つけた。細い棒のような工具や、小さなねじ回しが入っている。恭平は一本を選び、模型のくぼみへ先端を当てた。
かち、と音がした。
「動いた?」
「少し。もう一回」
三番とおれで頭を支え直す。恭平が工具を押した。
けれど、頭は開かなかった。
時計は二時二十分を回っていた。
頭の左側には、爪の先が入るほどの隙間ができていた。右側はぴったり閉じたままだ。反対にも留め具があるのかと、耳の後ろや首の付け根を調べたが、同じくぼみは見つからない。
ひよりが三角印を描き写した。
環が右耳で本当に合っているのかと言い出し、おれももう一度のぞいた。栞と図の三つの骨を一つずつ比べると、輪を受ける出っ張りが空いている。欠けた場所は間違っていない。開け方だけがわからなかった。
三時を過ぎた。左側を持ち上げると右側が引っかかり、右を動かそうとすると左まで閉じてしまう。恭平が再び工具を押したとたん、先端が滑り、くぼみの縁に白い傷がついた。
「同じやり方で続けたら、そこ、つぶれるぞ」
大河が言った。恭平は工具を台へ置いた。頭を支えていた腕がだるかった。模型から離れると、陸が壁の図の前にいた。図の右耳には、鉛筆で小さな印がついている。
おれが、つけておいてと言った印だった。
「もっと早く、こっち見ればよかったな」
陸は首を振った。
「でも、まだ時間あります」
「うん」
おれは時計を見た。
三時二十七分。あっという間に、残りが半時間ほどになっていた。ひよりの描いた三角印を見て、恭平が呼んだ。
「留め具を押すんじゃなくて、頭全体を下へずらすのかもしれない」
三番と前後を持って押してみたが、首のところで硬いものに当たった。模型がきしみ、栞が「待って」と台座を押さえた。三時四十分になった。環が投票開始まで十分だと告げた。おれたちは工具を替える前に、棚の箱や工具箱のふたを調べ直したが、説明は見つからなかった。
三時四十八分。環が見つけた薄い工具を、恭平がくぼみに差し込んだ。今までより奥に届く。
「ちょっと動いた」
おれも指に力を入れた。そのとき、かさり、と紙の音がした。
実験台の上に、白い紙が現れていた。
おれの前には『一番』と印刷された一枚。その下に『選ぶ者の番号』とあり、空欄が一つ。栞の前には二番、三番の前には三番と、それぞれの番号が印刷された紙が置かれている。教卓の上には、いつの間にか木の箱もあった。
上部に細長い投入口があり、正面には『投票箱』と書いてある。
「投票用紙……」
陸がつぶやいた。
スピーカーが鳴った。
『投票を開始します。解答と投票の締切は、四時の鐘です』
低い声が消える。
大河が紙を持ち上げた。
「もう十分しかねえぞ」
「まだ解けるかもしれない!」
栞は胸ポケットから小さなノートを出した。
「二条には、その夜の不思議が解けなければ投票って書いてある。今からでも解ければ、票は必要ないはず」
「でも、解けなかったら?」
「だから、今これを開けるの!」
栞はノートを置き、模型の横へ戻った。
ひよりが輪の部品を両手で持つ。
「入れるところは、ここだよね」
「うん。なくさないで」
おれは恭平を見た。
「さっきの続き」
「わかってる」
恭平がもう一度、工具を当てた。金具の動く音がする。左側の隙間は開いた。それでも、右側が外れない。
三時五十三分。
環は時計と模型を交互に見ていた。陸が台座の前へ来る。
「ここ、押さえます」
「頼む」
三番とおれが頭を持ち、栞が継ぎ目を確かめる。右側を持ち上げようとすると、台座を押さえる陸の指が白くなった。
「痛い?」
おれが尋ねると、陸は首を振った。
「大丈夫です」
三時五十六分。
「答えがわかってるなら、開けなくてもいいんじゃない?」
おれは黒板に向かって叫んだ。
「右耳! 右耳にこの骨を戻す!」
何も起こらなかった。理科室の明かりはついたままだ。問題には、『空いている場所へ返せ』とある。
おれは模型へ向き直った。
輪の部品を持つひよりの手が震えていた。
三時五十七分。
大河が机をたたいた。
「もう無理だろ!」
「まだ時間ある!」
おれが言い返す。
「三分で開くのかよ!」
「だから今探してるんだろ!」
「探して終わりだったらどうすんだ!」
大河は自分の投票用紙をつかんだ。
環が何か言おうとして、口を閉じる。恭平も工具を持ったまま、時計へ目を向けた。おれは三番を見た。三番は頭の継ぎ目から手を離さず、こちらを見返した。
「一番、もう一回」
おれはうなずいた。
頭を支え直す。くぼみの横の三角は、汗のついた指でこすれても、同じ向きを指していた。
四時まで、あと二分。
大河が投票用紙を広げた。
「一人、決めておかないと全員だぞ」

