その花が咲く頃に【第一幕】

 しばらくして、白幸さんが灯里ちゃんと共に戻ってきた。

「お嬢様? 何故そのようなところに…?」
「す、すみませんっ。癖で…」

 勢いよく立ち上がり、深く頭を下げた。
 白幸さんはそこまで気にしていないようで助かった。

「そうですか。旦那様達が起きましたので食事を運びましょう」
「かしこまりました」
「僕も持つ!」
「では自分の分を持っていってくださいな」
「やった!」

 白幸さんと半分に分けて、食事を運んだ。

「主ー! おはよー!」
「五月蝿い。おはよう」
「おはよう、薫」
「ああ」

 かおる。
 それがご主人様のお名前なのだろうか。初めて聞いた気がする。
 私なんかが呼ぶことはないだろうし、気にしなくていいか…。

「旦那様。今日はお嬢様が手伝ってくださいましたよ」
「仕事をさせたのか」
「いいえ。手伝いです」
「まあいい。おいお前」
「は、はい」

 急に呼びかけられ、少し驚いた。
 声が低くそこまで大きくはないから、ひとつの言葉の重みが、人間の言葉のお重みとは話が違う。

「手伝うのは勝手だが、決して働こうなど思うでないぞ」
「…かしこまりました…」

 え、それだけでいいのですか?
 でも、それが普通らしいからそれだけと思うのも違う気がする。

「では食べましょうか。灯里。座りなさい」
「はーい!」

 全員が着席し、ご主人様の声で揃って食事が始まる。
 少しだけ慣れた気がする。
 この習慣が始めは理解できなかった。

「では、いただきます」
「いっただっきまーすっ!」
「いただきます」
「いただきます」
「い、いただき、ます…」

 慣れたのは習慣だけで、言うことには慣れていない。
 難しいところだ。
 他人を理解しても同じにはなれない。それと同じだろうけれど、これには慣れなくてはいけないな。
 自分が手を加えた食事に、少しの不安があった。
 今まで理不尽に捨てられたり、不味いと嘲笑われたり、色々な事があった。
 今回もそうなのではと、少しだけ考えてしまった。
 ご主人様や他の皆が食べるのを、白幸さんも待っていた。

「……」

 一口食べたご主人様が固まった。
 不味かったかな…。

「旦那様?」
「あ、あぁ…。すまない」
「どうかなさいました?」
「いや…。おいお前」
「はっ、はい!」
「何をした」
「え…?」
「白幸の味ではない」
「わ、私は白幸さんの言う通りに調理しました」

 何も犯してはいないはず。
 白幸さんは優しいけれど厳しい。だから何も不備はないはず…
 なのに、どうして…

「旦那様素直にお伝えしてはいかがでしょう」
「…美味いな…」
「え…?」
「すっごくおいしいの! 僕はこれも好きだよ!」
「悪くないな」
「だそうですよ、おじょうさ…」

 止まらない。
 こんなの初めてだ。胸の内側からじわりと滲むような暖かさと、緩やかに溢れて止まない涙。
 これが何を意味しているのかもわからないのに、止められない。

「なぜ泣く。まるで私が泣かせたみたいな…」
「お嬢様…」
「すみま、せんっ…。とまら、なくてっ…」
「これをお使いくださいな」

 白幸さんから手ぬぐいを受け取って、そっと涙を拭った。
 止まれ、止まれと思えば思うほど、止まることを知らないのかむしろ溢れ出す。

「こんな、はじめて、でっ…」
「少し、聞いてもよろしいですか?」
「はい…?」
「貴女は今まで、作った食事はどのように扱われていたのですか?」
「…っ、私は…、道具、だから。食事は手をつけずとも、不味いと言われ、頭からかけられたり…。少し失敗したら三日に一度の食事さえ無くなったり…。それが、当たり前だったから。少し、驚きまして…」
「はぁ…」

 ため息…。
 そう、だよ。私の生き方なんてどうだっていいしつまらないものだ。そんなもの聞かされて気分がいいわけがない。

「白幸。幸愛に村を見に行かせろ」
「はい」
「お前はその卑屈さをなんとかしろ。道具ではない。お前は人間だ」

 初めて人間だと認めてもらえた。生まれてから今までで初めて。
 その辺の塵以上の扱いを受けたのは、生まれて初めてだ。

「人間だと…、認めてくださるのですか…?」
「違うのか」
「…、私が、人間扱いをされた記憶など…、どこを探してもないので…」
「そうか。だがお前は人間だ。涙を流しただろう」
「…ありがとうっ、ござい、ますっ…」

 ひとしきり涙が出切った後は、私も慣れない食事に手をつけた。