E組の補習は、恋の予習。~赤点ガールは、先生の「特別」になりたい~

「3年AからZまである」なんて、私立の進学校でもない公立高校にしては多すぎやしないだろうか。
クラスの数が増えるということは、それだけ「その他大勢」の人間が増えるということだ。
そして、その「その他大勢」の代表格が、この3年E組に所属する私――内山怜(うちやま れい)である。

私の高校生活は、ひとことで言えば「赤点とのデッドヒート」だった。
運動神経は平均、顔も普通、友達づきあいはそこそこ。良くも悪くもない。だけど勉強はダメ。全然ダメ。冗談じゃないよ? 本当に全然できなくて……。特に暗記系は壊滅的。テストの答案用紙を返されるたび、見慣れた一桁の数字が私のやる気を削ぎ落していく。
どうせ私なんて、何をやっても中途半端なんだ。
そう諦めかけていた、高校最後の春――。

「――今年度から赴任してきました、社会科の前橋伊織(まえばし いおり)です。よろしく」

職員室からガラリと引き戸が開いて現れた新任の先生は、その瞬間、教室の空気を一変させた。
サラリとした黒髪に、すらりとした長身。理知的な眼鏡の奥の瞳は涼しげで、アイドルみたいなイケメン。いや、もうアイドル級のイケメンなのだろう。
「え、待って、社会科の先生めちゃくちゃカッコよくない!?」
「しかも23歳だってよ!」
「イケメンすぎる……!!!」
女子たちの黄色い歓声が瞬く間に教室中を駆け巡る。もちろん、23歳という若さも相まって、伊織先生はあっという間に学校中の人気者になった。

……だけど、私にとって伊織先生は、「手の届かない人気者」なんかじゃない。
もっと冷酷な、私の学年進級を阻む「恐ろしい壁」だった。

なぜなら、中間テストの前に行われた学力調査テストで、私は見事に社会科で赤点を叩き出してしまったからだ。

「内山さん、放課後、社会科室に来てください」

職員室の廊下ですれ違ったとき、伊織先生は困ったような、でも優しげな笑みを浮かべてそう言った。
あんなカッコいい先生に「赤点の生徒」として覚えられるなんて、恥ずかしすぎて穴があったら入りたい。

そして放課後。重い足取りで向かった社会科室には、私一人だけが呼び出されていた。
(怒られるのかな……。「少しは勉強しなさい」って呆れられるのかな……?)
びくびくしながら椅子に座ると、伊織先生は私の目の前に、綺麗にまとまった自作のプリントを置いた。

「はい、これ。君のテストの解答用紙を見たんだけどさ、ここ、惜しい間違いが多いんだよね。単語だけ覚えようとするから苦しくなるんだ。こうやって、歴史の流れや背景と一緒に捉えると……ほら、面白いだろ?」

伊織先生は落ち着いた、耳に心地よい低い声で、淡々と、だけど熱意を持って説明を始めた。
先生の手元を見る。教科書の文字が、ただの退屈な記号から、生きた物語のようにスルスルと頭に入ってくる。
――え?

社会の授業なんて、これまでただの「眠気を誘う呪文」でしかなかった。
なのに、伊織先生が教える社会科は、まるで違う世界みたいに鮮やかで、わかりやすくて、胸の奥にスッと染み込んでいく。

「……どう? 少しはイメージできた?」
ふと顔を上げた先生が、ふわりと柔らかな笑顔を向けた。

「っ……はい! わかります、すごく!」

その瞬間、私の心臓が、テストのチャイムよりもはるかに大きな音で「ドキン」と跳ねた。
顔が一気に熱くなる。先生がかっこいいからだけじゃない。初めて「学ぶことの楽しさ」を教えてくれたこの人をもっと知りたいと思ってしまったからだ。

赤点回避のための補習だったはずなのに。
気づけば私の胸のなかには、予期せぬ熱がぽっと灯っていた。

――これが、私の恋の予習だったなんて、このときの私はまだ知らなかった。