占い師ミラと予言カード

 黒瀬ミラは、朝食の食パンを左手で口に運ぶ。
 右手には小説。
 これがミラの毎朝の習慣だ。

「ミラ、中学の始業式だったよな? もしかして今日からお弁当か? 父さん、またやっちゃった……」

 ボサボサの髪を掻きながら、ワイシャツの袖に手を通すのは、ミラの父・黒瀬透である。
 透は、名前に相応しい、透き通った嘘のない人だ。
 ただ、忘れっぽくて、ど天然なところはなんとかしてもらいたいとミラは心の中で思っている。

「大丈夫。もう準備してあるから」
「えー! そうなの? ごめんごめん! 明日からはちゃんと作るから!」
「明日も大丈夫。自分でやるよ」
「え? 父さんがやるって! あ、ミラ。前髪ぴょんってなってる」
「…………」
「黒髪のきれいなストレートヘアが台無しだよ。ああ! まずい。遅刻する! じゃあ、行ってきます!」

 父は、ドタバタと家を出て行った。
 会社でもあんな感じなのだろうか。
 でも、自分が父の会社で父をフォローできるわけではない。
 そういった透の良さを知ってくれる人も1%くらいはいるだろうとミラは信じて疑わなかった。

 ミラは、朝食を済ますと家族写真に「いってきます」と声をかけてから家を出る。
 写真の中には三人。
 生まれたばかりの自分、若い父、そして、黒髪で色白の美人な若い女性が写っている。
 父は、この女性が母だと言う。
 そして「艶っぽい黒髪も透き通る肌も大きな黒目も、ミラと母さんはそっくりだよ」と話してくれるのだ。
 そう。
 ミラは、母親の記憶がない。
 それに、保育園の年長さんよりも前の記憶がすっぽりなくなっているのだ。
 病院に通っているが、一部の記憶喪失は今日もまだ続いている。

「母さんは人々を占いながら全国を旅しているんだよ」

 小1の頃、一度だけ泣いて「母さんに会いたい」とだだをこねたミラを、透はこの文句でなだめた。
 母が"死んでいる"とは言わなかった。
 母はもうこの世にはいないのだろうがーー。

◇◆◇

「ここはどこだろう」

 私立月陰学園は、山々に囲まれた大きな学校だ。
 幼稚舎から大学まで広大な敷地に詰まっている。

「困った。中等部の校舎がわからない」

 ミラは、中等部からこの学校に通うことになった。
 小学5年のとき。
 ミラが全国模試で一位をとると、担任の先生が
「黒瀬さん、月陰学園の特待生枠を受験するのはどうかしら」
 と提案してくれた。さらには、
「特待生になれば、授業料は無料だし。どう?」
 そういうので、出世街道から外れた父の手助けになればとミラは月陰学園を受験した。
 特待生にもSランク、Aランク、Bランク、Cランクとあって、ミラは授業料だけでなく、制服や施設費用などのすべてが免除されるSランク特待生として入学することになった。
 だが、上手い話には裏がある。
 Sランク特待生は、Aランク、Bランク、Cランクに落ちる可能性があり、落ちた場合は授業料や施設費用などが発生する。
 Sランクを維持するためには、中間・期末テストで一位を死守しなければならない。
 さらには、内申点も重要だ。
 授業態度はもちろん、遅刻なんてもってのほかだ。

「まずい。初日から遅刻なんて、早々にSランク剥奪だ」

 冷静なミラもこのときばかりは駆け足になる。
 まずい、まずい。
 とにかく中等部の看板を見つけるしかないか。
 キョロキョロとあたりを見回しているとーー。

ーーガサガサガサガサ!

 突然、花壇から生き物が飛び出してきて、ミラの目の前に現れた。

「人間……」
 
 それは、茶髪くせっ毛の男子だった。
 髪には、草花の葉が付いている。

「うわ! すまん! 驚かせてもうて」

 その男子は、関西弁をしゃべりながら、キラキラした顔でミラの顔を覗き込む。
 背はすらっと高く、肌は少し日に焼けていて、こんな角度で垂れるか?というほどの優しい垂れ目だ。

「ま、まぶし」
「大丈夫? てか、ちっちゃいなあ。何センチ?」

 そう言ってミラに質問するこの人の笑顔は、笑っている柴犬のようにかわいらしい。

「大丈夫です」

 身長は、140センチだけど。
 ミラは、父以外の男とほとんど関わったことがない上に、こんな明るい性格の人間と会話するのは久しぶりだった。
 小学生の頃から本の虫だったミラは、授業以外は図書館にこもっていたのだ。
 だから、クラスメイトとの会話がなかった。
 この真っ黒な髪と無表情が相まって「黒瀬さんと話すと黒魔術にかかる」と噂されたこともある。

「中等部の生徒? 俺もなんよー! 道に迷っちゃって。一緒に行かへん?」

 くせっ毛柴犬の彼も道に迷っていたらしい。
 というか、身長の質問はもういいのか?
 まあ、知りたくて聞いたわけではないのだろう。
 咄嗟に出た独り言みたいなものか。

「……助かります。迷っていたので」
「そっか、よかったわ! あ! あそこ! 地図みたいなのがあるわ! 行ってみよ!」

 くせっ毛柴犬は、突然ミラの手を取り、走り出す。

「…………!?」

 ミラは運動は得意ではないので「ぜえぜえ」しながら、頑張ってついていった。
 久しぶりに走った……。
 地図みたいなものは、敷地内を案内するマップだった。
 くせっ毛柴犬はまじまじとそれを見つめ、中等部の校舎を探す。

「えーっと。ふむふむ。この道を右かー! よし、向かおうや……って大丈夫!?」

 ミラが肩を上下に動かす姿にやっと気づいて、くせっ毛柴犬はワタワタと慌てる。
 そして、繋いでいた手をパッと離した。

「……っ。はい……」

 ミラは懸命に息を整える。

「はあはあはあ……」
「深呼吸し! すー。はー。すー。はー」

 膝に両手をついたミラの背中を、くせっ毛柴犬は優しくさすった。
 一緒に深呼吸までしてくれているが、彼ばちっとも息が上がっていない。
 なんだか申し訳ない気もするが、ミラは今は呼吸をするのに精いっぱいだった。
 そして、ミラの呼吸が落ち着くと「ごめんごめん」と頭を掻く。

「……ありがとう。落ち着きました。とりあえず向かいましょう。遅刻するのはまずいので」

 ミラが右へ歩みを進めると、くせっ毛柴犬は「そうやね」と同意した。
 そうして、ひょこひょことミラの後を追う。

「あ! そういえば、君、名前は? 俺、朝日ヨウ。中学受験組なんよ」

 朝日ヨウ。
 名前にぴったりの性格だな。
 ミラは、横並びになった朝日には目を向けず、進行方向を向きながら「黒瀬ミラです」と端的に答えた。
 そんなそっけないミラの態度に構わず、朝日はニコニコと続ける。

「黒瀬さんは、中学受験?」
「はい」
「一緒やね! 何組?」

 ミラは、特待生なので特進クラスだ。
 特進クラスは、1〜3組までで、普通科クラスは4〜6組。
 クラスを答えると、自分が特進クラスであることを開示することになる。
 この人は、何組なんだろう。
 でも、黙っていてもまた聞かれるだろうか。
 どうせ中等部の校舎に入ったら、下駄箱でバレるか……。

「1組です」

 パッと顔を明るくした朝日は「え! 同じや!」とすぐさま答えた。
 その答えを聞いて、ミラは少しだけ安堵した。