学園の女王とイケメン王子様

 文化祭当日。

 私立星蘭学園は、朝から大勢の人で賑わっていた。

 校門には華やかなアーチが設置され、校舎の窓には色とりどりの飾りが揺れている。廊下からは楽しそうな声が聞こえ、体育館では舞台発表を待つ生徒たちが最後の確認をしていた。

 この日のために、生徒たちは何週間も準備を重ねてきた。

 そして、その中心には二人の姿があった。

「二年生の展示、準備完了しました!」

「体育館の進行も問題ありません!」

「模擬店の備品も、すべて揃っています!」

 次々に報告が届く。

 神崎颯真は、実行委員長として全体の進行を確認していた。

「よし、ありがとう! 何かあったら、すぐに連絡してくれ!」

「はい!」

 生徒たちが元気よく返事をする。

 その様子を見て、颯真は満足そうに頷いた。

 以前なら、何か問題が起きるたびに、一ノ瀬冷花が一人で対応していたかもしれない。

 けれど今は違う。

 それぞれの担当者が、自分たちで考え、相談し、協力して問題を解決している。

 冷花が築いてきた仕組みと、颯真が作ってきた人とのつながり。

 その二つが、ようやく一つになったのだ。

「神崎くん」

 声をかけられて振り向くと、冷花が立っていた。

 生徒会長としての腕章をつけ、手元には確認用の資料を持っている。

「全体の準備状況を確認しました。今のところ、予定どおりに進んでいます」

「そっか。よかったな」

「はい。皆さんが積極的に動いてくださったおかげです」

 冷花は、周囲を見渡した。

 そこには、笑顔で準備を進める生徒たちの姿があった。

「……以前の私では、こうした光景を見ることはできなかったかもしれません」

「そんなことないだろ。お前が頑張ってきたから、みんなも頑張ってるんだよ」

「ですが、神崎くんがいなければ、私は皆さんの気持ちに気づけなかったと思います」

「……俺だって、お前がいなかったら、ここまでうまくできなかったさ」

 颯真は照れくさそうに笑った。

「だから、俺たちはいいコンビなんじゃないか?」

 冷花は、目を丸くした。

 そして、ゆっくりと微笑んだ。

「……はい。私も、そう思います」

 その笑顔を見て、颯真は思わず胸を押さえた。

 文化祭当日だというのに、また調子を狂わされてしまった。

「……お前、今日はいつも以上に笑ってないか?」

「そうでしょうか?」

「ああ。なんか、すごく楽しそうだ」

 冷花は少し考えたあと、素直に答えた。

「はい。楽しみなのです」

「文化祭が?」

「それもありますが……」

 冷花は颯真を見つめた。

「神崎くんと一緒に、今日を迎えられたことが嬉しいのです」

「――っ!」

 颯真は、思わず言葉を失った。

 そのとき、背後から佐伯の声が響いた。

「おーい、神崎! 顔が真っ赤だぞ!」

「うるさい!」

「一ノ瀬さん、神崎のこと、よろしくお願いします!」

「はい。任せてください」

「一ノ瀬まで何を言ってるんだ!」

 周囲から笑い声が起こった。

 冷花は少し不思議そうにしていたが、やがて楽しそうに笑った。

 颯真は、その笑顔を見ながら思った。

 今日が終わってほしくない。

 文化祭が成功してほしいと思う一方で、この時間がずっと続いてほしいとも思っていた。

 けれど、時間は止まらない。

 だからこそ、今日という一日を大切にしたかった。

     *

 午前十時。

 文化祭が始まった。

 一般公開が始まると、校内は一気に賑やかになった。

 教室では各クラスの展示や催しが行われ、体育館では舞台発表が始まっている。

 颯真は校内を巡回しながら、各企画の様子を確認していた。

「神崎くん、ちょっといい?」

 呼び止めたのは、二年三組の女子生徒だった。

「どうした?」

「うちの展示、思ったより人が多くて。入口が少し混雑してるの」

「わかった。係の人数を増やせるか確認するよ。誘導の仕方も、一緒に考えよう」

「ありがとう!」

 颯真が笑顔で答えると、女子生徒も安心したように笑った。

 その少し後、今度は一年生が駆け寄ってきた。

「神崎先輩! 体育館の発表なんですけど、前の団体の片づけが予定より早く終わりました!」

「それなら、次の団体に確認して、準備が整っていれば少し早められるかもしれないな。担当の先生にも相談してみよう」

「はい!」

 颯真は次々に相談を受け、そのたびに対応していった。

 以前なら、一人で抱え込んでしまっていたかもしれない。

 けれど、今は違う。

 自分だけで判断せず、担当者の意見を聞き、必要なら冷花にも相談する。

 そのやり方が、自然と身についていた。

 そして、そんな颯真の姿を、冷花は少し離れた場所から見つめていた。

 彼は、誰に対しても気さくに声をかける。

 困っている人がいれば、すぐに足を止める。

 失敗した人を責めるのではなく、どうすれば解決できるかを一緒に考える。

 その姿は、冷花にはとても眩しく見えた。

「……神崎くんは、すごいですね」

 隣にいた生徒会役員が、嬉しそうに言った。

「みんな、神崎くんには相談しやすいって言ってます。もちろん、一ノ瀬先輩にも助けてもらっていますけど」

「……そうですか」

「はい。お二人が一緒にいてくれると、何とかなる気がするんです」

 冷花は、ゆっくりと頷いた。

 自分一人では、きっとここまで来られなかった。

 颯真がいたから。

 彼が自分の足りない部分を教えてくれたから。

 そして、失敗しても一緒に考えてくれると約束してくれたから。

 今の自分がいる。

 冷花は、颯真の姿をもう一度見つめた。

 胸の奥が、温かくなる。

 彼が笑っていると、自分も嬉しい。

 彼が困っていると、力になりたい。

 そして、彼が自分のそばにいないと、少しだけ寂しい。

 その感情の名前を、冷花はまだ知らない。

 けれど、今日は一つだけ、はっきりしていることがあった。

 この文化祭が終わっても。

 神崎颯真と、一緒にいたい。

     *

 午後三時。

 文化祭は、いよいよ終盤を迎えていた。

 大きなトラブルはなく、各企画も順調に進んでいる。

 体育館では最後の舞台発表が始まり、観客席からは大きな拍手が響いていた。

 その頃、颯真は校庭の端で、片づけの手順を確認していた。

「神崎くん!」

 振り返ると、冷花が小走りでやってきた。

「一ノ瀬? どうしたんだ?」

「少し、休憩しませんか?」

「……え?」

 颯真は、思わず聞き返した。

 冷花のほうから、休憩に誘われるとは思っていなかったのだ。

「ずっと動き続けているように見えました。少し休んだほうがよいと思います」

「いや、俺は大丈夫だぞ」

「私も大丈夫です」

「だったら、休憩する必要ないんじゃ……」

「ですが、神崎くんと少しお話ししたいのです」

「…………」

 颯真は、黙ってしまった。

 最近、冷花は自分の気持ちを少しずつ言葉にするようになっている。

 そして、その言葉はいつも、颯真の予想を超えてくる。

「……わかった。少しだけな」

「はい」

 二人は校舎裏のベンチに腰を下ろした。

 校庭からは、文化祭を楽しむ生徒たちの声が聞こえてくる。

 冷花は、しばらくその様子を眺めていた。

「……楽しいですね」

「ああ。大成功だな」

「はい。皆さんが頑張ってくださったおかげです」

 冷花は、膝の上で手を重ねた。

「私、以前は、何でも一人でできることが大切だと思っていました」

「……うん」

「誰かに頼るより、自分でやったほうが早い。失敗を防ぐためには、すべてを把握しておく必要がある。そう考えていました」

 颯真は、黙って聞いていた。

「ですが、今は少し違います」

 冷花は、颯真のほうを向いた。

「誰かと一緒に考えることも、大切なのですね」

「ああ。俺も、お前からいろいろ教わったよ」

「私から、ですか?」

「そう。お前が本気で勝負してくれるから、俺ももっと頑張ろうって思えた。お前が努力してるのを見て、俺も負けていられないって思ったんだ」

 颯真は笑った。

「俺だって、お前がいなかったら、こんなに頑張れなかったと思う」

 冷花は、目を見開いた。

 そして、嬉しそうに微笑んだ。

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」

 二人は、しばらく黙っていた。

 気まずい沈黙ではなかった。

 むしろ、言葉がなくても心地よい。

 冷花は、ふと気づいた。

 以前の自分なら、沈黙が続けば、何か話題を探そうとしていたかもしれない。

 相手が退屈していないか、何か問題がないか、気にしていたかもしれない。

 けれど、今は違う。

 神崎くんと一緒なら、何も話さなくてもいい。

 ただ、隣にいるだけで嬉しい。

「……神崎くん」

「ん?」

「文化祭が終わっても、こうして一緒に過ごしていただけますか?」

 颯真は、息をのんだ。

 それは、彼がずっと聞きたかった言葉だった。

 文化祭が終われば、実行委員として一緒に行動する理由はなくなる。

 だからこそ、不安だった。

 この関係が、文化祭と一緒に終わってしまうのではないかと。

 しかし、冷花は自分から、同じ願いを口にしてくれた。

「……もちろんだろ」

 颯真は、笑顔で答えた。

「文化祭が終わっても、勝負は続けるからな」

「はい。私も、楽しみにしています」

「それだけじゃないぞ」

「……ほかにも、何かありますか?」

 颯真は少しだけ迷った。

 けれど、今はまだ、告白するつもりはなかった。

 彼女が自分の気持ちを探しているように、自分も少しずつ、この関係を大切にしていきたかった。

「……これからも、いろんな話をしようぜ」

 冷花は、柔らかく微笑んだ。

「はい。約束です」

 二人は、指切りをする代わりに、小指を軽く差し出して触れ合わせた。

 それは、子どものような小さな約束だった。

 けれど、二人にとっては、何よりも大切なものになった。

     *

 午後四時。

 文化祭は、無事に終了した。

 最後の来場者が校門を出ると、校内には片づけをする生徒たちの姿が残った。

「お疲れさまでした!」

「今年の文化祭、最高だったな!」

「また来年もやりたい!」

 あちこちから、達成感に満ちた声が聞こえる。

 颯真は、最後の確認を終えたあと、体育館の入口で冷花を待っていた。

 やがて、彼女が資料を抱えてやってきた。

「神崎くん。お待たせしました」

「おう。これで、全部終わりか?」

「はい。生徒会への報告も、ひととおり完了しました」

「そっか……」

 颯真は、校舎を見上げた。

 何週間も準備してきた文化祭が、ついに終わった。

 大変なこともあった。

 意見がぶつかったことも、思いどおりに進まなかったこともあった。

 けれど、最後にはみんなが笑っていた。

 そして、自分はその中心で、冷花と一緒に過ごすことができた。

「……一ノ瀬」

「はい?」

「文化祭、楽しかったな」

 冷花は、少しだけ驚いたあと、微笑んだ。

「はい。とても楽しかったです」

「……よかった」

 颯真は、照れくさそうに頭をかいた。

 そして、少しだけ真剣な表情になった。

「なあ、一ノ瀬。明日なんだけど……」

「明日、ですか?」

「ああ。よかったら、一緒に帰らないか?」

 冷花は、目を丸くした。

「……一緒に、ですか?」

「そう。文化祭の片づけも終わったし、久しぶりにゆっくり話したいなと思ってさ」

 颯真は、心臓が大きく跳ねるのを感じていた。

 ただ、一緒に帰ろうと誘っただけだ。

 それなのに、将棋の勝負で冷花を追い詰めたときよりも緊張している。

 冷花は、しばらく彼を見つめていた。

 そして、ゆっくりと微笑んだ。

「……はい。ぜひ、ご一緒させてください」

「……っ!」

 颯真は、思わず顔をそらした。

「そ、そうか! じゃあ、明日な!」

「はい。楽しみにしています」

 冷花は、嬉しそうに頷いた。

 その姿を見て、颯真は確信した。

 自分は、彼女のことが好きだ。

 勝負に勝つことも大切だ。

 けれど、それ以上に、彼女と過ごす時間を大切にしたい。

 彼女が笑ってくれることが嬉しい。

 自分の言葉を喜んでくれることが、何よりも幸せだ。

 そして、これからも一緒にいたい。

 その気持ちは、もう疑いようがなかった。

 明日は、文化祭のない普通の日だ。

 特別な理由も、勝負の約束もない。

 それでも、二人は一緒に帰る。

 それが、颯真にとっては何よりも楽しみだった。

     *

 帰宅後。

 冷花は、自室の机に向かっていた。

 目の前には、いつものノートがある。

 彼女は、新しいページを開いた。

『文化祭が終わっても、神崎くんと一緒にいたい』

 そう書いてから、ペンを止める。

 今までは、感情を分析し、理由を探そうとしていた。

 けれど、今日は少し違った。

 なぜ一緒にいたいのか。

 どうして嬉しいのか。

 その答えを、今すぐ出す必要はないのかもしれない。

 ただ、自分がそう感じていることを、認めてみようと思った。

 冷花は、ノートにもう一行書き加えた。

『神崎くんと一緒にいる時間が、好きです』

 書き終えた瞬間、胸の奥が温かくなった。

「……明日が、楽しみですね」

 冷花は、静かに微笑んだ。

 それは、誰にも見せていない、彼女だけの笑顔だった。

 学園の女王と呼ばれる少女が、誰かと一緒に帰ることを心待ちにしている。

 そんな自分が、少しだけ不思議だった。

 けれど、不思議だからこそ、もっと知りたいと思った。

 神崎颯真という少年のことを。

 そして、彼と一緒にいるときの、自分自身のことを。