学園の女王とイケメン王子様

 文化祭まで、あと一週間。

 星蘭学園では、文化祭の準備と並行して、体育の授業も通常どおり行われていた。

 その日の種目は、バドミントンだった。

「一ノ瀬!」

 授業が終わるなり、神崎颯真はラケットを手にして冷花の前に立った。

「今日こそ、お前に勝つ!」

 冷花は手元のラケットを確認しながら、彼を見上げた。

「バドミントンですか?」

「ああ。勉強でも運動でも、俺はお前に負けっぱなしだからな。そろそろ一勝くらいさせてもらう!」

「そうですね」

「……そこで素直にうなずくなよ。少しくらい悔しがれ!」

「神崎くんが勝負を申し込んでくることは、いつものことですので」

「俺は毎回、本気なんだぞ!」

「私も本気ですよ」

 冷花は、ラケットを構えた。

 その表情からは、冗談を言っている様子はない。

「手加減はしません」

「望むところだ!」

 こうして、二人の勝負が始まった。

     *

 試合開始。

 颯真のサーブが、鋭くコートの奥へ飛んでいく。

 冷花は素早く反応し、軽いフットワークでシャトルを打ち返した。

 高く上がったシャトルが、颯真のコートへ落ちてくる。

「そこだ!」

 颯真は前に踏み込み、強烈なスマッシュを放った。

 しかし、冷花はその軌道を読んでいた。

 ラケットを伸ばし、シャトルをネット際へ落とす。

「なっ……!」

 颯真は慌てて駆け寄ったが、わずかに届かなかった。

「一点、私です」

「まだまだ!」

 颯真は悔しそうに歯を食いしばった。

 その後も、試合は白熱した。

 颯真は持ち前の運動能力を生かし、左右に揺さぶりながら攻め続ける。

 冷花は冷静に動きを見極め、無駄のない動作でシャトルを返す。

 速いラリーが続くたび、周囲で見ていた生徒たちから歓声が上がった。

「神崎くん、すごい!」

「一ノ瀬会長も、全然崩れない!」

「どっちが勝つんだろう……!」

 やがて、得点は十五対十五になった。

 颯真は息を整えながら、冷花を見た。

 彼女もまた、額に汗を浮かべている。

 それでも、視線は真っすぐこちらを向いていた。

「……一ノ瀬」

「はい」

「楽しいか?」

 冷花は少しだけ目を瞬かせた。

「何がですか?」

「この勝負だよ。俺と本気で競い合うの、楽しいか?」

 冷花はラケットを握り直した。

 そして、はっきりと答えた。

「はい。とても」

 颯真は、一瞬だけ動きを止めた。

「……そっか」

「神崎くんと勝負すると、いつも予想していなかったことが起こります。私が考えもしなかった方法で攻めてきたり、前回の反省を生かして動きを変えてきたり」

 冷花は、少しだけ笑った。

「だから、次はどうなるのだろうと考えるのが楽しいのです」

 颯真は、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 自分が勝ちたいと思って続けてきた勝負。

 彼女にとっても、それはただ勝敗を決めるだけのものではなかったのだ。

「……だったら、最後まで楽しませてやるよ」

「期待しています」

 再び、ラリーが始まった。

     *

 試合は、十九対十九。

 あと二点で勝敗が決まる。

 颯真はシャトルを高く打ち上げた。

 冷花が後方へ下がる。

 そこへ、颯真は前方へ短い球を落とした。

「もらった!」

 冷花は素早く方向を変えた。

 ぎりぎりでシャトルに追いつき、ラケットを振る。

 シャトルはネットを越え、颯真のコートへ落ちた。

 颯真も反応していた。

 床に滑り込むようにして拾い上げ、シャトルを打ち返す。

 高く上がったシャトルを、冷花が見上げた。

 そして、全力で跳ぶ。

 鋭いスマッシュが、颯真のコートへ突き刺さった。

「くっ……!」

 颯真は反応できなかった。

 二十対十九。

 冷花のマッチポイントだ。

「次で決めます」

「……上等!」

 颯真は、額の汗をぬぐった。

 もう体力は残り少ない。

 だが、不思議と苦しくはなかった。

 冷花もまた、真剣に自分と向き合ってくれている。

 そのことが、何より嬉しかった。

 最後のサーブ。

 颯真はシャトルを打ち上げ、すぐに前へ出た。

 冷花が打ち返す。

 颯真はバックハンドで返し、次の球を待った。

 冷花の打球は、コートの隅へ。

 颯真は走った。

 あと少し。

 ラケットが届く。

 シャトルが宙を舞った。

 しかし、冷花はすでに次の位置へ移動していた。

 最後の一打。

 シャトルが床に落ちた。

「試合終了。二十一対十九、一ノ瀬さんの勝ち!」

 体育館に拍手が響いた。

 颯真は、その場にしゃがみ込んだ。

「……くそー! あと一歩だったのに!」

 冷花は彼のそばまで歩み寄った。

「神崎くん」

「……何だよ」

「とても楽しかったです」

 颯真は顔を上げた。

 冷花は、心から満足したような顔をしていた。

「最後まで、どちらが勝つか分かりませんでした。私も、ずっと緊張していました」

「お前が緊張?」

「はい。神崎くんが、これまでで一番強かったので」

 颯真は、目を見開いた。

「……本当か?」

「本当です」

「お世辞じゃないよな?」

「勝負の結果を見れば分かると思います。私も、かなり集中しなければ勝てませんでした」

 冷花は手を差し出した。

「ありがとうございました。次も、ぜひ勝負してください」

 颯真は、その手を見つめた。

 そして、彼女の手を取って立ち上がった。

「……ああ。次こそ絶対に勝つ」

「楽しみにしています」

 二人は握手を交わした。

 その光景を見ていたクラスメートたちは、またしてもざわめき始めた。

「何あれ、すごくいい雰囲気じゃない?」

「試合のあとに握手って……!」

「一ノ瀬会長、神崎くんといるとき、本当に楽しそうだよね」

「もう、あの二人が並んでるのが普通になってきたな……」

 そんな声を聞きながら、颯真は冷花の手を離した。

 少しだけ名残惜しいと感じたことは、誰にも言わなかった。

     *

 放課後。

 体育館での勝負を終えた二人は、生徒会室へ向かっていた。

「それにしても、惜しかったなあ……」

 颯真は、まだ悔しそうだった。

「あと少しだったのに。あの最後の一打、どうやって返したんだ?」

「神崎くんが、最後は右側に打つ可能性が高いと考えました」

「なんで分かったんだよ!」

「それまでの打ち方から推測しました」

「くそっ……。次は読まれないように練習してやる!」

「では、私も練習しておきます」

「お前は少しくらい油断しろ!」

「勝負ですから」

 冷花は真顔で答えた。

 颯真は、思わず笑ってしまった。

「……本当に、お前は変わらないな」

「そうでしょうか?」

「いや、変わったところもあるか」

「どこがですか?」

 颯真は少し考えた。

「前より、楽しそうにしてる」

 冷花は歩みを止めた。

「……そう見えますか?」

「ああ。最近、よく笑うようになったし。みんなと話すときも、前より柔らかくなったと思う」

 冷花は、自分の手を見つめた。

「……神崎くんのおかげかもしれません」

「え?」

「あなたが、私にいろいろなことを教えてくれたからです」

 彼女はゆっくりと顔を上げた。

「人に頼ること。相手の話を聞くこと。そして、勝負を楽しむこと」

「勝負を楽しむって、前から楽しんでただろ?」

「いいえ。以前の私は、勝つことが当然だと思っていました。負けないように努力することが大切で、勝負そのものを楽しむという考えは、あまりありませんでした」

 冷花は少しだけ微笑んだ。

「でも、神崎くんと勝負していると、勝つこと以外にも嬉しいことがあると分かりました」

 颯真は、黙って彼女の言葉を聞いていた。

「あなたが努力していること。私の予想を超えてくること。そして、勝負が終わったあとに、次の勝負を約束できること」

 冷花は、穏やかな声で続けた。

「私は、あなたと勝負する時間が好きです」

 颯真の心臓が、大きく跳ねた。

 ――それは、反則だろ。

 そんなことを言われたら、ますます勝ちたくなる。

 そして、勝負が終わったあとも、ずっと彼女のそばにいたくなる。

「……一ノ瀬」

「はい?」

「お前、そういうこと、簡単に言うなよ」

「そういうこと、とは?」

「……だから!」

 颯真は頭を抱えた。

「俺が、どんな気持ちになるか分からないだろ!」

 冷花は、目を丸くした。

「神崎くんは、困っているのですか?」

「困ってるというか……!」

 言いかけて、颯真は口を閉じた。

 彼女は本当に分かっていない。

 それなのに、彼女の言葉一つで、自分の気持ちはこんなにも揺さぶられてしまう。

「……いや。困ってない」

「そうですか」

「ただ……」

 颯真は、彼女をまっすぐ見た。

「お前と勝負できるのは、俺も楽しいよ」

 冷花は、一瞬だけ驚いた顔をした。

 それから、ふわりと笑った。

「……よかったです」

 その笑顔を見た颯真は、もう何も言えなくなった。

     *

 その日の夜。

 颯真のスマートフォンに、冷花からメッセージが届いた。

『今日はありがとうございました。とても楽しかったです』

 颯真は、画面を見つめた。

 そして、少し迷ってから返信した。

『俺も楽しかった。次は絶対に勝つからな』

 すぐに返事が来た。

『はい。私も負けません』

 さらに、もう一通。

『次の勝負も、楽しみにしています』

 颯真は、思わず笑みを浮かべた。

「……本当に、勝負が好きなんだな」

 そうつぶやきながら、彼はスマートフォンを置いた。

 けれど、しばらくして、また手に取った。

 もう一度、彼女のメッセージを読み返す。

 次の勝負も、楽しみにしています。

 その言葉が、何度読んでも嬉しかった。

 そして、ふと思った。

 ――勝負がなくなったら、俺たちはどうなるんだろう。

 その疑問は、すぐには消えなかった。

 けれど、颯真はまだ、その答えを彼女に尋ねる勇気がなかった。

 今はただ、次の勝負を約束できることが嬉しかった。

 そして、彼女と過ごす時間が、これからも続いてほしいと思っていた。