学園の女王とイケメン王子様

 文化祭まで、あと十日。

 私立星蘭学園では、文化祭の準備が本格化していた。

 各クラスが出し物の準備に追われる中、文化祭実行委員長の神崎颯真は、あちこちから声をかけられていた。

「神崎、ちょっといいか? 教室の装飾について相談したいんだけど」

「神崎先輩! パンフレットの配置、これで大丈夫でしょうか?」

「神崎くん、音楽部との打ち合わせなんだけど……」

「分かった、順番に聞くから! ちょっと待ってくれ!」

 颯真は手元の資料を確認しながら、一つずつ相談に答えていく。

 以前の彼は、成績も運動能力も容姿も申し分ない、学園でも有名な男子生徒だった。

 しかし、今の彼はそれだけではない。

 人の話を聞き、異なる意見をまとめ、困っている相手に手を差し伸べる。

 そんな姿を見て、彼を頼りにする生徒が増えていた。

「神崎って、思ったより面倒見がいいんだな」

「思ったよりって何だよ!」

「いや、もっと自分の勝負にしか興味がないやつだと思ってたから」

「俺だって、勝負以外にも興味くらいある!」

「へえ。例えば?」

「……文化祭とか」

「今、考えただろ」

「うるさい!」

 友人の佐伯にからかわれ、颯真は顔をしかめた。

 そんな二人のやり取りを、少し離れた場所から見ていた生徒会役員が、小声で話していた。

「神崎くんって、最近すごく頼もしくなったよね」

「うん。それに、一ノ瀬会長とも息が合ってるし」

「二人が並んでいると、なんだかお似合いに見えない?」

「分かる! 完璧な女王様と、その隣に立てる唯一の男の子って感じ!」

 その言葉は、あっという間に周囲へ広がっていった。

     *

 昼休み。

 颯真が生徒会室に入ると、冷花が文化祭のパンフレットを確認していた。

「お疲れ、一ノ瀬。進み具合はどうだ?」

「順調です。神崎くんが各クラスとの調整をしてくれたおかげで、予定よりも早くまとまりました」

「そりゃよかった」

 颯真は彼女の向かいに座り、持ってきた資料を机に置いた。

「こっちは、各クラスから集まった追加の希望だ。確認してくれるか?」

「はい。ありがとうございます」

 冷花は資料を受け取った。

 そのとき、颯真の手元にあるものが目に入った。

「あら。その栞、使ってくれているのですね」

「ああ、これか?」

 颯真は、手にしていた問題集から青い栞を取り出した。

 白い星の刺繍が施された、冷花からもらった手作りの栞だ。

「当たり前だろ。せっかくお前が作ってくれたんだからな」

「気に入っていただけたようで、よかったです」

「気に入ってるよ。使いやすいし」

「そうですか」

 冷花はうなずいた。

 そして、少しだけ視線を落とした。

「……作ってよかったです」

 その声が、いつもより柔らかかった。

 颯真は、思わず彼女の顔を見た。

「……何だよ。そんなに嬉しそうにするなよ」

「嬉しいので」

「即答かよ……」

「神崎くんが喜んでくれたのですから、当然だと思います」

 颯真は、何も言えなくなった。

 最近、冷花はこういうことを平然と言う。

 本人にとっては、思ったことをそのまま口にしているだけなのだろう。

 しかし、言われる側の身にもなってほしい。

 少しは心の準備というものが必要なのだ。

「……一ノ瀬」

「はい?」

「お前、俺以外にもそういうこと言ってるのか?」

「そういうこと、とは?」

「……いや、もういい」

 聞きたいことはあった。

 自分だけに向けられる言葉なのか。

 それとも、彼女にとっては誰に対しても同じなのか。

 けれど、そんなことを尋ねるのは、何だか負けたような気がした。

 勝負なら、負けるわけにはいかない。

 だが、こういうことには、どう勝てばいいのか分からなかった。

     *

 午後の授業が終わると、颯真は文化祭の会場確認のため、冷花と一緒に校内を回ることになった。

「まずは体育館から確認しましょう」

「了解」

 二人が廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちが次々に挨拶をしてきた。

「一ノ瀬会長、お疲れさまです!」

「神崎くん、実行委員の仕事、頑張ってね!」

「二人とも、文化祭楽しみにしてます!」

 冷花は丁寧に応じ、颯真も手を上げて返事をした。

 すると、廊下の向こうから三人の女子生徒がやってきた。

 そのうちの一人が、意を決したように颯真へ声をかける。

「あ、あの、神崎くん!」

「ん? どうした?」

「文化祭のことで、ちょっと相談があるんだけど……」

「いいぞ。今、聞こうか?」

「ありがとう!」

 女子生徒は嬉しそうに笑った。

 そのまま相談が始まり、颯真は立ち止まって話を聞く。

 冷花は隣で、静かに待っていた。

 相談が終わると、女子生徒たちは何度もお礼を言いながら去っていった。

「神崎くんって、本当に話しやすいよね」

「うん。頼りになるし!」

 そんな声が、廊下の向こうから聞こえてくる。

 颯真は少し照れくさそうに頭をかいた。

「……最近、よく相談されるんだよな」

「神崎くんが、皆さんから信頼されている証拠ですね」

「お前に言われると、なんか照れるな」

「なぜですか?」

「……お前、本当に分かってないんだな」

「何をでしょう?」

「いや、いい」

 颯真は歩き出した。

 冷花も隣に並ぶ。

 しばらく歩いたところで、彼女がぽつりと言った。

「神崎くんは、誰とでも自然に話せるのですね」

「まあ、そうかもな」

「……少し、うらやましいです」

 颯真は足を止めた。

「え?」

 冷花は前を向いたまま、言葉を続けた。

「私は、皆さんと話したいと思っています。でも、どうしても相手が緊張してしまうことが多いようです。私が話しかけると、必要以上にかしこまってしまいます」

「……そうだな」

「神崎くんと一緒にいると、皆さんが自然に話しかけてくれます。あなたが隣にいると、私も少しだけ、皆さんと近くなれた気がします」

 颯真は、彼女の横顔を見つめた。

 それは、彼女にとって大きな変化なのだろう。

 完璧であることを求められ、いつも周囲から一目置かれてきた彼女。

 そんな彼女が、誰かともっと自然に話したいと思っている。

「……だったら、これからも一緒に回ろうぜ」

 颯真は、なるべく何でもないことのように言った。

「俺が隣にいれば、みんなも話しかけやすいだろ?」

 冷花は、ゆっくりと彼を見た。

「……はい」

 そして、小さく微笑んだ。

「ありがとうございます。神崎くん」

 その笑顔を見て、颯真は思った。

 やっぱり、ずるい。

 そんな顔をされたら、何だって引き受けたくなってしまう。

 たとえ、それがどんなに大変な仕事でも。

     *

 翌日。

 昼休みの教室では、颯真と冷花の噂が持ちきりになっていた。

「ねえ、聞いた? 昨日、一ノ瀬会長と神崎くんが二人で校内を回ってたんだって」

「見た見た! すごく自然に並んで歩いてたよね」

「神崎くん、一ノ瀬会長にだけ態度が違う気がするんだけど」

「それって、もしかして……」

「やっぱり、付き合ってるのかな?」

 その会話を聞いていた佐伯が、颯真の肩を叩いた。

「おい、神崎」

「何だよ」

「お前、ついに女王様の隣の席を手に入れたんだな」

「何の話だ!」

「いやあ、よかったなあ。あんな美人と仲良くなれて」

「別に、仲良くなったわけじゃ……」

「じゃあ、なんで毎日一緒にいるんだ?」

「文化祭の仕事だよ!」

「へえ。文化祭が終わったら、もう一緒にいないのか?」

「…………」

 颯真は黙り込んだ。

 文化祭が終わったら。

 その言葉が、妙に引っかかった。

 確かに、二人が一緒にいる理由の一つは、文化祭の準備だ。

 実行委員長と生徒会長。

 仕事があるから、顔を合わせる機会が多い。

 では、文化祭が終わったら?

 もう一緒にいる理由はなくなるのだろうか。

 そんなことを考えた自分に、颯真は驚いた。

 これまで、冷花と勝負する理由ならいくらでもあった。

 彼女に勝ちたい。

 彼女に認められたい。

 彼女を驚かせたい。

 けれど、今はそれだけではない。

 勝負がなくても、彼女と話したい。

 何でもないことを話して、彼女が笑うところを見たい。

 ……それは、いったい何なのだろう。

「神崎?」

 佐伯が顔をのぞき込んできた。

「お前、どうした? 急に黙って」

「……うるさい。何でもない」

「ふうん。まあ、いいけどさ」

 佐伯はにやりと笑った。

「ただ、ひとつだけ教えてくれよ」

「何だよ」

「お前、一ノ瀬のこと、どう思ってるんだ?」

 颯真は、すぐに答えられなかった。

 いつもなら、決まっている。

 ライバルだ。

 負けたくない相手だ。

 そう答えればよかった。

 けれど、今は。

「……分からない」

 小さく、そう答えた。

 佐伯は、目を丸くした。

「え?」

「……自分でも、よく分からないんだよ」

 颯真は窓の外を見た。

 校庭では、文化祭の準備をしている生徒たちが楽しそうに笑っている。

 その中に、冷花の姿があった。

 先生に頼まれた資料を運んでいるらしい。

 手伝おうとした生徒に何かを話しかけられ、彼女は少し驚いたあと、穏やかに微笑んだ。

 その笑顔を見た瞬間、颯真の胸が温かくなった。

「……ただ、あいつが楽しそうにしてると、俺も嬉しいんだ」

 佐伯はしばらく黙っていた。

 そして、深いため息をついた。

「……お前、もう答え出てるだろ」

「は?」

「いや、何でもない」

 佐伯は笑いながら、自分の席に戻っていった。

 颯真は納得がいかないまま、もう一度窓の外を見た。

 冷花が、こちらに気づいた。

 彼女は小さく手を振った。

 颯真も、思わず手を振り返す。

 その瞬間、周囲の女子たちが一斉にざわめいた。

「今の見た!?」

「一ノ瀬会長が神崎くんに手を振った!」

「やっぱり特別な関係なんじゃ……!」

「だから、違うって!」

 颯真の叫び声が、教室中に響き渡った。

 窓の向こうでは、冷花が不思議そうに首を傾げている。

 どうやら、彼女には何が起きているのか、まったく分かっていないらしい。

 颯真は額に手を当てた。

 ――頼むから、少しは自分の影響力を自覚してくれ。

 そう思いながらも、彼は再び窓の外の彼女を見た。

 そして、誰にも聞こえない声でつぶやいた。

「……まあ、俺だけは、あいつの隣にいたいけどな」

 その言葉を口にした瞬間、颯真は自分の気持ちを少しだけ理解した気がした。

 彼女の隣にいることを、もう手放したくない。

 それが、今の自分の本音だった。