「三園君、まだ終わってないのか……?」
琴吹稀、有給休暇二日目の執務室。
代役の三園は、出勤すると昨日頼んだ仕事をやっていた。
彼女は、くるりと振り返り口を尖らせる。
「だってぇ、この量を一日でなんて無理ですよぉ……」
「琴吹君はやってのけたがな……」
小さくため息をつく。
他人と比べるのはどうかと思うが、ここはあえて稀の名前を出してどう反応するか見てみたかった。
「社畜の先輩と一緒にしないでください。あの人は超人なんですぅ」
「その割には、琴吹君が総務にいた頃は残業が多かったようだが……?」
「それはぁ、あの人がキャパオーバーな仕事を引き受けるからですぅ。仕事はできても要領が悪いというかぁ……」
岩鬼は、三園が稀に対して嫌がらせのように仕事を振っていた事を知っていた。
稀の残業時間だけが極端に多かったので、密かに他の社員から情報を聞き出していたのだ。
誰もが三園の名前を出した。そして報復を恐れているのか、「自分が言ったという事は内密に」と口を揃えた。
実のところ、三園の仕事ぶりは悪くない。
なのに稀に残業させるほどの仕事を振るのは、誰の目から見ても嫌がらせである。
普通は社長令嬢に対して、いや社長令嬢じゃなくともこんな事はしない。
何が三園をこんなにも稀を目の敵のようにするのかが疑問だった。
社長に進言してクビにしてもらうのは簡単だが、この理由がわからない限り下手に動くのは危険だと思った。
一度自分の監視下に置いて観察したいと考えていたところ、タイミング良く三園の方から代役を買って出てくれたのである。
考え込んでいると、三園はパッと明るい顔を向ける。
「専務〜。私、ごほうびが欲しいですぅ」
「ごほうび?」
「ごほうびくれたら〜、一週間頑張っちゃいます」
「仕事の対価は給与だ」
「そうなんですけど〜! モチベーションの問題です〜!」
三園に正論を説いても無駄だろうと、軽くため息をつく。
少々のごほうびを与えてやる気を出してくれるなら安いものだと、岩鬼は観念してメガネを中指で上げた。
「何が望みだ?」
「とりあえず、ランチご一緒しませんか?」
無茶な要求でない事に安堵する。
「とりあえず」という所に引っかかりを覚えたが、ひとまず気にしない事にした。
昼休みになり、社内食堂ではなく社外で食事をする事になった。
外に出ると、三園はスッと慣れた風に腕を絡ませてくる。
距離感がおかしいのではないかと、露骨に眉を顰めてしまった。
しかし三園は、そんな岩鬼の心情もお構いなしだ。
「離れなさい」
「これもごほうびですよ〜」
「なぜそうなる……。ここは会社にも近い。誰かに見られては困る」
「私は困りません。専務と噂になってもいいですよぉ」
「こちらは困る。私は人事だ。特定の人物を贔屓するわけにはいかない」
「わかりましたぁ、真面目なんですね」
言いながら、三園は離れてくれた。
会社の近くにある定食屋で昼食を済ませ、早々に戻る途中で三園が訊いてくる。
「専務はぁ、どうして琴吹先輩を秘書に選んだんですか? やっぱり超人だからですか? そ・れ・と・も、社長の娘だから……?」
嫌な聞き方をする。
まるで腹の探り合いだ。
「琴吹君の普段の勤務態度もあるが、一番の理由はやはり彼女が社長の娘だからだろうな」
そう言うと、三園は「やっぱり!」という顔をした。
「もしかして、琴吹先輩を落として次期社長を狙ってるんですか?」
「……ふふ。君の頭はどこまでもおめでたいな」
「……えっ?」
三園は、目を瞬かせる。
「もう少し聡い娘だと思っていたが、とんだ期待外れだ。彼女を秘書にしたのは、彼女が後継者だからだ。彼女は営業や開発研究部、あらゆる課の研修を経て総務へ配属になった。社内事情を知った上で一番大事なのは社員だ。社員を把握していなければ人の上に立つ事はできない。だから人事部へ来てもらった。人事専務の秘書として経験を積んだ後は社長秘書に就いてもらう。こうして少しずつ琴吹製薬の後継者として相応しい人間になってもらうためだ」
我ながらうまく言い訳を考えたものだと、岩鬼は自分に感心した。
しかし嘘ではない。目標はそこだが、目的はやはり稀血を美味しくいただくためだとは、口が裂けても言えなかった。
「三園君、キミはやけに琴吹君を気にしているね? 何か理由でも?」
そう言った途端、三園はぴたりと足を止めうつむいた。
「あの人は……私の恋人を奪ったんです。大学の時、何食わぬ顔で」
拳をぎゅっと握り、他の人間が見ればゾッとするほどの鋭い視線を向けられる。
岩鬼はそれをさらりとかわし、ただ冷静に、三園の相談に乗るつもりで続けた。
「ほう、琴吹君が? にわかには信じ難いな」
「私の好きになった人は、みんな琴吹先輩を好きになります。私の方が可愛いのに。ちょっと勉強ができて社長令嬢ってだけで、みんな。だから、この会社に入った時、先輩がいてラッキーと思いました。あの時の報復ができるって」
三園の口調は、いつもの甘ったるい感じではなくなっていた。
「そうだったのか……」
彼女が稀に執着する理由がわかり、岩鬼は〝何か対策を立てねば……〟と考える。すると、三園が再びスッと岩鬼の腕に手を回してきた。
「おい……」
先ほど注意したばかりだろう、と岩鬼は顔をしかめる。
「でも専務って、やっぱり先輩のことお気に入りですよねぇ?」
三園の声は、甘ったるい猫撫で声に戻っていた。
「そういうわけではないが」
「じゃあ……私、専務のこと狙っちゃおうかな〜……」
上目遣いで、スーツの袖をすり……と撫でられる。
「今夜……時間あります?」
岩鬼は、じっと三園を見下ろす。
「……いいだろう」



