吸血鬼専務は私を逃さない〜契約から始まる極甘婚約〜



 人事部にきてから数日後、オフィスで作業を手伝っていた時のことだった。
 五十代の部長が、立ち上がって突然言い出す。

「琴吹くんの歓迎会をしようと思うのだが!」

 部長は嬉々としている。

「おっ、いいですねぇ」
「歓迎会!」

 年配の社員はすぐに同意するが、若手社員たちは渋い顔だ。

 ──また部長、始まったよ……
 ──飲みたいだけだろ……

 ボソボソと、そんな声が聞こえてくる。どうやら恒例行事らしい。
 その時、専務室から岩鬼専務が出てきた。

「歓迎会ですか、いいですね」

 話は聞こえていたらしい。専務が言うと、微妙だった女性社員たちの顔がパッと明るくなった。

「専務も参加されますか!?」
「ああ、もちろん」

 きゃあきゃあと黄色い声が上がる。その途端に、若手の男性社員たちも「専務が行くなら……なぁ?」「そうだな」というような空気になった。
 まさか、人事部の人間全員眷属にしてる……? まさかね。
 きっと専務の人徳なのだろう、それはそれですごいけど。

「ただ──会場はこちらで決めてもいいでしょうか?」

 専務が部長に訊ねる。

「ああ、もちろんもちろん! 料理と酒のうまいところで頼むよ!」

 部長は上機嫌で頷く。
 私も作業が終わり専務室に戻ると──

「……というわけで、琴吹くん。手配を頼む」
「は!?」

 自分の歓迎会なのに、自分で手配しろと!?

「秘書業務の一環だ。今後、会食会場の選定を任せることも増える」
「なるほど?」

 いや、〝なるほど〟なのかな、これ。
 でも業務の一環と言われればやるしかない。
 すぐにネットでお店を検索し始めた。


 そして当日。
 会場は、駅近くの落ち着いた雰囲気の居酒屋となった。
 半個室になっており、照明も柔らかい。
 料理の評判もよく、女性社員受けも悪くない。

「いやぁ、琴吹くんが人事部に来てくれて、本当に助かってるよ! さすが社長令嬢(・・・・)!」

 部長は上機嫌で酒を飲みながら、やたらとこちらを持ち上げてくる。
 ああ、なるほど……歓迎会って、そういうこと……。
 愛想笑いを返すしかなかった。
 実家には全然帰っていないけれど、最近の父は専務のおかげでだいぶ丸くなったみたい。これが眷属の力なのか、専務本人のカリスマ性なのかはわからないけど……。でも、専務が父を眷属にするため首筋に噛み付いた姿は……あんまり想像したくないな。思わず苦笑してしまう。

 男性社員も言っていたが、歓迎会とはいえ普通の飲み会のようだ。
 でも、みんなが楽しい時間を過ごしてくれるなら、悩んで会場を選んだ甲斐があったものだ。
 一方、岩鬼専務はというと、若手社員に囲まれながらも落ち着いた様子でグラスを傾けていた。
 けれど時折、こちらを見ている気がする。
 ……気のせいかな。
 なんだか落ち着かなくなって、私は席を立った。

 お手洗いから出ると、廊下でばったりと岩鬼専務に会った。

「あ……」

 不意打ちみたいで、心臓が跳ねる。
 静かな廊下に二人きり。向こうからは、喧騒が聞こえてくる。

「体調は大丈夫か?」
「え? あ、はい……」

 一応、心配はしてくれるのよね。

「そうだ。皆の前だと渡しづらかったから……」

 専務は、照れたようにポケットから一枚の紙を差し出してきた。

「……え?」

 ドキッとしながら受け取る。なんだろう? 連絡先……は知ってるし、ラブレター……ではないよね? まさか、二次会のお誘い……とか?
 ドキドキしながら紙を開く。

『アルコールは一杯まで』
『揚げ物は控えること』
『野菜も食べること』
『締めのお茶漬けは許可する』

 見た瞬間、口を一文字にして目を瞬かせる。

「な、なにこれ……」
「見てのとおりだ」

 恥ずかしっ!! なにをドキドキしていたの、私!!
 そうだ、こういう人だったじゃないの専務は!!
 じゃあ、なんで照れくさそうに手渡してきたの!?

「外食だからといって気を抜くな」
「そんなぁ〜」

 歓迎会なのに。
 しゅんと肩を落とすと、専務はわずかに視線を逸らした。

「そ、そんな顔をしてもダメだ。食事制限はしっかりとしてもらう」

 厳しい。
 厳しいけど。
 でも、この人なりに心配してくれているのは伝わってくる。

「……また、うまいものを作ってやるから……」

 ぽん、と頭に手が乗せられた。
 優しく撫でられる。

「うう、約束ですよ……」

 恨めしそうに視線を向けると、専務は顔を逸らしてメガネの位置を直した。

「そういえば、そのメガネって……」

 ふと、気になって訊ねる。 
 家にいる時はかけていなかったような。

「ああ、昼間はこれで吸血鬼の能力を抑えている」
「じゃあ、外すとまずいんですね…………ん?」
「ん?」

 少しの間、顔を見合わせる。

「うちに来たとき、メガネ、外してましたけど……」
「……それが?」
「今! 目、逸らしましたね!?」
「なにも問題はない」
「ありありですよ! 飲む気満々で来たってことじゃないですか……!」
「そう騒ぐな」

 そう言って、ぐっと腰を引き寄せられる。
 身体が密着して、驚く間もなく専務の腕の中へ。

「今もかなり我慢してるんだ。あまり騒ぐと、襲うぞ」
「〜〜〜〜っ!」

 耳元で囁かれ、頭から湯気が出そうになった。
 専務に出会ってから、本当にペースを乱されっぱなしだ……。


 
 席に戻ると、部長がまた隣にやってきた。

「琴吹くん、どこに行っていたのかね。今日は君の歓迎会なんだから」

 そう言って、お酒を勧めてくる。

「いえ、私は、これ以上は……」

 律儀に専務の言うことを守るわけじゃないけれど、私自身、そんなにお酒も強くない方だった。少しだけ、距離を取ろうとしたその時……

「部長、こっちで飲みませんか?」

 若手社員の声に、部長は上機嫌でそちらへ向かっていく。

 ——助かった……。

 ほっとしたのも束の間、隣の席に誰かが腰を下ろした。
 岩鬼専務だった。

「……もしかして、あれも眷属の力ですか?」

 部長と若手社員たちの輪の方に、視線を巡らせる。

「さあな」

 専務は目を伏せて、かすかに微笑むだけだった。
 彼は、赤のグラスワインを少しずつ飲んでいる。
 吸血鬼が赤ワインって……もしかして血液の代わり?
 でも、なんだかサマになっていて、少しだけ見惚れてしまった。