岩鬼専務が、昨夜の吸血鬼……!?
一体、どうして職場まで……!?
「言っただろう、環境を改善させないと、おまえは死ぬと」
「それにしたって、会社まで乗り込んでくるなんて!」
「別に乗り込んできたわけではない。正式に社長にお願いして人事専務にしてもらった」
「そんな……。あの頑固な父が……?」
「うん……まあ、お願いしたというより、眷属にして言う事をきかせた……というか……」
呟くように小さな声で言った専務の言葉を、私は聞き逃さなかった。
それってつまり、父の血をいただいて自分の配下にしたってことよね?
怒りのあまり、飾ってあったツボを持ち上げて専務を睨みつける。
「ま、待て! 落ち着け! これはビジネスだ!」
「ビジネス?」
「そうだ。前も言ったが、このままだと、おまえはあと五年で死ぬ。俺はおまえに死なれると困る」
「それは……私が稀血だから?」
「そうだ」
「じゃあ、他を当たってください。私はもう、これ以上血を吸われたくありません」
「何を言っている、稀血の人間がそうそういるわけがないだろう! おまえは百年に一人の逸材なんだぞ!」
必死の形相で両肩を掴まれる。
え、そんなに……?
必要とされるのは悪い気はしないけど、でも理由がなぁ……。
「それに、おまえはもう俺の婚約者だ。昨夜血を吸った時に契約の印を結んだからな」
専務は、私の首筋に手を触れる。昨夜噛みつかれた場所だ。
「……っ!」
じんわりと熱を感じた。専務が手鏡を渡してくれたので、見るとそこにはアザのようなものが浮かんでいた。目を凝らすと、何かの模様に見える。
「これが契約の印だ」
「そ、そんな勝手に……」
横暴だ、詐欺だ、パワハラだー!
今朝鏡を見た時はこんなものなかったのに。
どうやら、専務が手をかざした時だけ表れるようだ。
「しかし、おまえもその若さで死ぬのは嫌だろう?」
確かに、齢三十一で天国行きは、私も望んではいない。
「わかった。わかりました。百歩譲って職場と食事の改善は努力します。でも婚約は関係なくないですか?」
「何を言っている。俺だって百歩譲って婚約にしているんだ。本来なら、そのまま番に──」
「つ、つつ、つが……っい!?!?」
「真っ赤になって、可愛いやつだな」
笑いながらポンポン頭を撫でられる。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
「俺が紳士で良かったな」
どこが! セクハラ! イエローカード!
「話を戻そう。俺の秘書になったからには、繁忙期を除いて定時で帰ってもらう」
「定時で……」
「そして食改善、睡眠や運動などの生活改善。定時で上がれれば時間に余裕もできるだろう」
「そうですね……。それなら自炊もできそうです」
「改善を始めて一ヶ月……いや、三週間毎に血液検査をする」
…………ん?
「血液検査って……」
「もちろん、おまえの血をいただいて……」
「待って!! なんでそうなるの!?」
「元々そのための改善だ!」
「血液検査なら、病院でやりますけど!?」
「何を言っている! おまえの血はすべて俺のモノだ!! 病院でなんて、もったいない!!」
すごい必要とされてるけど、全然喜べない!!
*
「さて、次は実際の仕事だ」
私は秘書用のデスクに座らされ、目の前に分厚いファイルが置かれる。
ひえ〜、これじゃあ三園さんと同じじゃないの……。
「これを定時までに入力。そして社員の名前をなるべく覚えてもらう」
「社員の名前を!?」
千人以上いるんですが!?
「名前は徐々にでいい。俺は少し席を外すから、後は頼んだぞ」
そう言って、吸血鬼……もとい岩鬼専務は部屋を出ていった。
なんなのなんなの、もう、社長といい専務といい……。
私の意思なんてお構い無しなんだから……!
でも、仕事はちゃんとやろう。また周りに色々言われるのは嫌だ。
ファイルを手に取り、中身を確認する。
乱雑に置かれたけど、書類はちゃんとまとまってる。
三園さんがいつも持ってくる謎の仕事より、ずっとやりやすいわ。
これなら、なんとか定時までにできそう。
「よーし!」
ポジティブなのが私の長所!
やるぞー!
その後、無事に仕事を終えたが専務が帰って来なかったので、私は言う通りに定時で退勤した。
こんなに早く帰れるなんて……!
スキップでもしたい気分だった。
自炊をしろと言われているのを思い出し、スーパーで食材を買って帰る。
昨日血を吸われているからか、無性にお肉が食べたい!
家に着いて早速、ハンバーグの調理に取り掛かった。
ピンポーン。
ハンバーグを焼いていると、インターホンが鳴った。
あれ、誰だろう……?
カメラを覗いてみると、そこには岩鬼専務が立っていた。
さすがに上司を無視するわけにもいかず、渋々玄関を開ける。
専務は、メガネを外し昨日と同じようなラフな格好だった。
一度家に帰ったのだろう。
「なんで部屋がわかったんですか?」
「履歴書を見ればわかる」
公私混合!! 個人情報!!
「何の御用でしょうか?」
気を取り直して、苦い笑顔で問いただす。
「ビジネスだと言っただろう。何もおまえだけに無理を強いるつもりはない。夕食を用意する」
買い物をしてきたのか、専務はスーパーの袋を手にしている。
気持ちは非常にありがたいのだけれど……。
「専務、言っていたじゃないですか? 定時で帰れば時間もできると。自炊はできるのでお気持ちだけいただいておきます」
にっこりとビジネススマイルで返して、玄関を閉めようとした。
「ま、待て! おまえ、料理はできるのか!?」
専務は、玄関の扉が閉まるのをガッと塞いでくる。
なぜ、そんなに必死なのだろう……?
「失礼ですね。ちゃんと実家の家政婦さんに習ってます。何をそんなに必死になってるのです?」
「その……。考えてみたら、おまえにメリットがない、と……」
専務なりに考えていてくれたようだ。
「そんなことないですよ。定時で帰れて時間に余裕ができただけでも、私のメリットです」
玄関で話し込んでいると、なにやら変な匂いがしてきた。
「……ん? 焦げ臭くないか?」
「あーっ!」
しまったー!
フライパンを火にかけっぱなしだった!
慌てて火を止めに向かう。
蓋の隙間から、黒い煙が出ていた。
火事にならなくて良かったけど……せっかくのハンバーグが……。
蓋を開けると、真っ黒な物体が現れる。
「消し炭か?」
「ハンバーグです! って、何上がり込んでるんですか!」
うう、専務の相手してる場合じゃない……。
あぁぁあ私のハンバーグ……。
せっかく、久々に自炊ができたと思ったのに……。
しょんぼりしていると、専務が持っていたスーパーの袋の中身を出した。
「おや、偶然だな。ここに挽き肉が」
「せ、専務〜〜」
「ちゃんと野菜も食べるんだぞ」
「はい! ありがたや〜〜」
まさか専務もハンバーグのつもりだったなんて。
私はよほど嬉しそうな顔をしていたのか、専務に微笑まれてしまった。
昨夜もそうだったけど、専務はすごく手慣れているみたい。私が付け合せを作るのを手伝っている間にハンバーグは美味しそうに焼き上がった。
「いただきます」
「いただきます」
二人で折りたたみテーブルに向かい合わせで座って食べる。
私の部屋は一人暮らし用なので、専務のあの部屋に比べれば、すごく狭い。
専務は背が高いから、窮屈じゃないかな……?
「どうした?」
じっと見ていたのを気づかれてしまった。
「あ、いえ……。私の部屋、専務の部屋に比べると狭いから……窮屈かな……と……」
「では、次からは俺の部屋に来るか?」
「なんでそうなるんですか!」
そういう意味で言ったんじゃないです! とツッコミを入れておいた。
食べ終わってからも、しばらく専務とお茶を飲む。作ってくれた手前、追い出すわけにもいかないし……。
「たしかに狭いが」
専務が、さっきの話を蒸し返してきた。
「おまえとの距離が近いのはいいな」
言われて、顔から湯気が出そうになる。
こ、この人は……どこまで本気なんだろう?
私の事は、単なる稀血――食事にしか思っていないはずなのに。
どうしてそんなにドキドキさせるの……?
「隣へ行っていいか?」
「どうせ、嫌だと言っても来るんですよね?」
「当たりだ」
返事を待たずに、専務は私の隣に座る。
どうしよう。
私と専務はまだ出会って二十四時間も経っていない。
それなのに、いきなり婚約者だの番だの言われて、受け入れてしまっていいのだろうか?
頭の中がぐるぐるする。
思い悩んでいるのは私だけかもしれない。
専務は今、何を考えているんだろう?
横目で専務を見ると、目が合った。こちらをじーっと見ていたようだ。
「な、なんでしょう……?」
ドキドキしていることを悟られないようにしたい。
あれ……? そういえば、なんだか専務の目が紅いような……?
「飲みたい」
「……え?」
「おまえの血をいただきたい……」
そう言って、抱きしめられた。
いや、昨日吸われたばかりなんですけど!?



