「う……ん……?」
トントントントン、とリズミカルな包丁の音と、いい匂いで私は意識を取り戻した。
あれ? 私たしか……不審者の男に血を吸われて……何か叫んで……それからどうしたんだっけ?
そうだ、貧血みたいになって倒れたんだった。それもこれも、あの男が私の血を吸うから……。
血を吸う?
そもそも、なんで私の血を吸ったの?
というか、血を吸う行為自体が……まるで吸血鬼みたいな……。
考えを巡らせているうちに、だんだんはっきりと覚醒してきた。
ここ、どこ……?
私の部屋じゃない。
常夜灯しか点いていなくてよくわからないが、とてもシックな感じの寝室だ。
ベッドも私のより少し幅広い。おそらくセミダブルサイズだろう。
インテリア一つとっても、まるで男性の部屋みたいな……まさか。
寝室の扉をそーっと開けると、調理の音といい匂いが広がり耳と鼻腔をくすぐる。
「あ、起きたか」
さっきの男が、部屋着姿で平然と調理していた。
「ふ、不審者ーー!!」
もうやだ!!
血を吸われた上に家に連れ込まれるなんて!!
「誰が不審者……いや、そうだな、勝手に血を吸ってしまった事は謝る」
男は、意外にも素直に謝罪してきた。
そういえば、私どうして家に連れ込まれてるの? 何かされた!? と衣服をチェックすると寝ていた時のものと思われるシワはあるものの、特に衣服の乱れはなかった。ストッキングは伝線していたが、これは倒れた時のものだろう。
むしろ介抱してくれた事は御礼を言うべき? いえいえ、元はといえばこの人が勝手に私の血を吸うから貧血になったわけで!!
血圧が上がって、またふらつきそうになるのをぐっと堪えた。
「同じマンションだと思うんだが、部屋番号がわからなかったので勝手に介抱させてもらった」
「そうですか。それはどうもありがとうございました。もう大丈夫なので失礼します」
わざとらしいほどに深々とお辞儀をして礼を言った。カバンを取りに再び寝室に入ると、「待て」と呼び止められてこちらに迫ってきた。
「な……なんですか?」
あまりの近さに仰け反り、そのままベッドにすとんと腰掛ける形になってしまう。
この体勢はまずい……!
そんな私の気もよそに、男は私の頬に触れてじっと見つめてくる。
う。さっきはよく見えなかったけど、この人かなりのイケメンだわ。まつ毛長……。
って、イケメンだからって何しても許されると思うなーー!?
「肌荒れがひどい」
「…………は?」
「髪に艶がない。化粧ノリも悪い。脚もむくんでいる」
ぎゃーー!
脚に触るなーー!!
「せっかくの稀血が問題だらけじゃないか。
何がおまえをそんなに苦しめている?」
「あ、の……。さっきから、稀血ってなんですか……?」
倒れる前にも、そんなことを言っていたような。
「珍しい血液のことだ。我々吸血鬼にとっては非常に重要な成分が含まれていてな。さっきはその成分不足で思わずいただいてしまった」
はっ? 吸血鬼……?
え、私の予想当たり?
「それよりも!」
「きゃっ!」
力強く、両肩を掴まれる。
「問題はその血液だ! あんなに不味い稀血は初めてだ! 一体どうしたらあんなにドロドロになるんだ!?」
人の血液を不味いとかドロドロとか、さっきからかなり失礼なんですけど!?
でも、そんなにドロドロと言われたら、心当たりはただひとつ。
「仕事……かなぁ……?」
「そんなに過酷な環境なのか?」
「いえ、それほどじゃないですけど、残業が多くて。それが原因かな、と……」
実際は仕事を押し付けられているのだが、断れない私にも責任はあるし、三園さんのせいにしたくなかった。
彼は、私の持っていたコンビニ袋の中身を確認してため息をつく。
コンビニ弁当に酒のおつまみ、休日用のデザートなどなど。
「まさか、これが夕食か?」
「いえ、それは夜食で、夕食は会社でパンをたべ……」
「そんなストレスを抱えてこんな食事を続けていたら、血液もドロドロになるに決まっているだろう!? 改善しろ、今すぐに!!」
言い終わらないうちに、彼は鬼のような形相で凄んできた。
ひええぇぇ……!
なんで私、見ず知らずの吸血鬼に怒鳴られてるのーー!?
「あと五年以内で死ぬぞ」
「はっ?」
「職場! 食事! 生活! 今すぐ改めないと、おまえの命はあと五年だと言ってる」
鼻先に人差し指を突きつけられた。
「ひ、ひどい……」
「ああ、おまえの日常はひどすぎる」
「そうじゃなーーい! なんで初対面のあなたにそこまで言われなきゃいけないんですかーー!!」
怒りのあまり、枕を投げつけた。
「大体、なんでそこまでわかるんですか!?」
「俺は吸血鬼界でも屈指のグルメ派だ。血を飲めば含まれている成分くらいわかる」
なんだか、自分も知らない自分を知られているようで複雑な気持ちになった。
「まあ、そう怒るな。改善すれば問題はない」
ちょっと泣いてた私の腕をひっぱり、ダイニングテーブルへ座らされた。
そして、先程作っていた料理がテーブルに置かれる。
「まずは食改善だ。ちゃんと栄養バランスも考えるように」
鶏肉のソテーに大根おろしがかかっていて、胃にも優しそう。付け合せはほうれん草、プチトマト。生野菜なんて久しく食べていない。炊きたての白米と湯気の立つお味噌汁……。
ごくり、と唾を飲み込んでしまった。
コンビニ弁当を食べそこねているので、実はかなりの空腹だったのだ。
「い、いただいていいんですか……?」
「さっき、こちらも血をいただいてしまったからな……」
向かいに座った彼は、バツが悪そうに目線をそらす。
食事に何か盛られている可能性がなくはないけど、この料理は皿に盛り付けてすぐに持ってきた。その点では大丈夫だろう。
私は箸を取り、手を合わせた。
「いただきます!」
空腹だったせいもあって、私は一気に食べてしまった。
「ごちそうさまでした」
久々の手料理……。
とても美味しかった……。
彼は温かいお茶も淹れてくれた。
なんて至れり尽くせりなの。
実家にいた頃でもこんな執事みたいな人はいなかったわ。
「あっ、コンビニ弁当はどうしよう……」
「それなら、代わりに俺がいただこう」
こんな美味しいご飯の代わりになんて、申し訳ないと思ったけど、廃棄するのはもったいないしお言葉に甘えることにした。
でも、結局明日からはまた元の生活に戻ってしまうわよね……。食事改善と言われても、時間がなければ作ることもできないし。
「また明日も食べに来い」
「へっ……?」
唐突の提案に、私は一瞬固まった。
「い……いやいや! さすがにそこまでしてもらうわけには!」
ありがたいけれど、そこまでしてもらう理由がない。私はカバンを手に取り、そそくさと帰る準備をした。
「そこまでしないと、おまえは死ぬ」
「極端ですよ! それに、私が死のうがあなたには関係ないでしょう?」
「関係ある」
彼は立ち上がり、私の首筋に触れる。
先ほど噛まれたところだ。
じんわりと熱くなって、ぼーっとしてくる。
「俺はおまえに死なれると困る……」
え……。
初対面なのに。そんなに眉を下げて心配そうな顔をして。
どうしてそんなに私のことを……?
見つめられる瞳にドキドキしていると──
「おまえはもう、俺のモノだ」
彼の言葉に私は勢いよく立ち上がり、顔を真っ赤にしてカバンで彼を殴った。人を所有物みたいに言うなんて、信じられない……!
「ごちそうさまでした!!」
と捨て台詞のように叫んで部屋を飛び出した。
なんて人なの、初対面の人間に向かってあんなこと!
イケメンってあんな自信満々に言っちゃうの!?
うう、ドキドキしてしまった自分が悔しい。
大股でマンションの廊下を歩き、エレベーターの前に来た。
えっ!? ここ、最上階!?
このマンションの最上階って、ファミリー層向けの広めの部屋があるとこだけど!?
あの男、吸血鬼でイケメンで料理ができて……本当に何者なのー!?



