吸血鬼専務は私を逃さない〜契約から始まる極甘婚約〜



「んっ……」

 一ヶ月以上ぶりの、吸血行為──のはずだった。
 けれど、敬一さんが牙を立てない。
 代わりに、甘く噛んで、舐めて、強く口づけする。
 じんわりと熱がそこに集中して。
 きっとキスマーク、つけられた。
 
「……? 吸わない、んですか?」
「俺は、自分の気持ちがはっきりするまで吸わないと決めた」
「どういうことです?」

 敬一さんが伏目がちに言う。
 
「自信がない」

 その一言に、胸がぎゅっと締め付けられた。
 ──ああ。敬一さんは、今でも悩んでいるのか。
 
「化野の言葉が、呪いのようにまとわりつくんだ」

 苦しそうな横顔だった。
 迷いを祓うように首を横に振って、私をぎゅっと抱きしめてくれる。
 
「稀血だから好きなんじゃない。契約があるから好きなんじゃない。稀だから……おまえだから……わかってる。けど……」

 ぽつりと零された弱気な言葉に、私はむっと頬を膨らませて、
 
「敬一さん!」
 
 びしっと敬一さんのおでこに人差し指を突きつけた。
 いつも彼が、私にしてくるみたいに。
 
「うっ」
 
 敬一さんがおでこを押さえて、珍しくたじろぐ。

「なんですか、それは! 今までのことを思い出してください!」

 私は、必死に言葉を探す。
 
「私は、敬一さんに雑に扱われたことなんて、一度もないです。出会った最初だけです」

 最初は稀血が目的だったかもしれない。
 けれど、敬一さんはずっと優しかった。
 おいしいご飯も作ってくれて、それを一緒に食べて笑い合って。

「初めて抱いてくれた夜だって、私は、ちゃんと気持ちが通じ合ったと思ってます」

 一緒に過ごしてきた時間も。
 交わしてきた言葉も。
 触れ合ったぬくもりも。
 全部、本物だった。

 今だって。
 さっきまで散々嫉妬していたのに。
 
「私が惚れた男(ひと)なんだから、自信を持って!」
 
 いつか、私がもらった言葉を。
 今度は、そっくりそのまま返してみせる。
 
 沈黙が流れた。
 敬一さんはぱちくりと目を瞬かせて──

「ふはっ!」
 
 堪えきれなかったみたいに吹き出した。
 ええっ!?
 
「わ、笑わなくてもいいじゃないですか……!」
 
 せっかく、いいこと言えたと思ったのに。
 恥ずかしくなって抗議しても、敬一さんは肩を揺らしながら笑う。
 ああもう。
 こんなふうに笑うなんて──ますます好きになってしまう。
 
「──稀」
 
 ふいに、優しい声で名前を呼ばれる。
 ぽん、と大きな手が頭に乗った。
 温かい手のひらが、髪をゆっくり撫でる。
 まるで、大事なものに触れるみたいに。
 胸が、とくんと鳴った。

「好きだ」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 敬一さんが、今。
 好きって──。
 
「……っ」
 
 今度は私が、ぱちくりと瞬きをする番だった。
 かぁっと顔が熱くなる。
 
「え、あ……は、はい……」
 
 情けない返事しか出てこない。
 けれど敬一さんは、そんな私を見て、満足そうに目を細めた。

「……いいのか?」
「はい」

 首筋を差し出す。
 キスマークよりも、ずっと深いものを刻み込まれる感覚。
 さすがに期間を空けすぎたのか、敬一さんもどことなく吸う力が強い。

「あ……あ、んんんっ」

 甘い痺れが全身を駆け巡る。
 これ以上は、ダメなのに。
『もっと』と言ってしまいそうで思わず敬一さんの後ろに回していた手に力が入る。
 やがて敬一さんが顔を離すと、唇から垂れる血液を乱暴に手で拭った。
 またそれを『もったいない』とでも言うように舐める。
 
「はぁ……」

 酔いしれるように息を吐く姿に、見惚れてしまう。
 窓の外では、いつもと変わらない夜空が広がっている。
 私たちは、やっと本当の意味で、恋人になれた気がした。

 
 *

 レセプションパーティーから数日後。
 琴吹製薬は、いつもの雰囲気だった。
 敬一さんと二人で専務室に向かっていると、廊下の向こうから、聞き慣れた声が響いた。
 
「稀ちゃーーん!」
 
 振り返ると、白衣姿の詠海さんがこちらへ向かってくる。

「新製品! 試してみて!」
 
 満面の笑みで差し出された袋に、私は首を傾げた。
 
「え?」
「またおまえは……」
 
 敬一さんが露骨に眉をひそめる。
 
「吸血鬼の食欲を抑えるサプリなんだ!」
「はぁ」

 よくわからず、気のない返事をしながら両手で受け取る。
 
「つまり岩鬼くんが稀ちゃんを吸わなくても済む!」
「却下だ」
 
 敬一さんが、睨んで即答する。
 
「えーーっ」

 詠海さんが子供みたいに頬を膨らませる。

「そんなものがなくても、俺はもう自分を抑えられる」
「嘘だぁ」
 
 じとーっとした目が敬一さんへ向けられる。

「おまえこそ飲んだ方がいいんじゃないのか? 何せ前科があるからな」
 
 敬一さんがニヤリと口元を吊り上げた。
 詠海さんの肩がびくりと震える。
 
「と、とにかく、飲んでみてよ!」

 話を逸らすようにサプリを押しつけると、詠海さんは逃げるように去っていった。

「まったく、あいつは……」

 呆れたようにため息を吐く敬一さん。
 その時だった。
 
「専務、琴吹さん!」
 
 呼び止められて振り返る。
 そこには、人事部の社員が立っていた。

「社長がお呼びです」
「なぜだ」

 敬一さんの眉がぴくりと動く。

「レセプション会場での件だそうです」
「……」

 私と敬一さんは顔を見合わせる。
 あの時はいろいろありすぎた。
 東奥さんの騒動。
 三園さんのこと。
 そして……人前で唇を奪われた瞬間を思い出す。
 かぁっと頬が熱くなった。
 いったい、どの件で呼ばれているのだろう。
 ……たぶん、一番心当たりがあるのは、最後のやつだけれど。

「……仕方ない」

 敬一さんは、ため息をついてメガネの位置を直す。

「どうせ社長には怒られる」
「うぅ……」
「その時は結婚の話でもするか」
「…………え?」

 今、結婚って言った?
 思わず、瞬きを繰り返す。

「嫌か?」
「嫌じゃ、ないです」

 敬一さんは、今までで一番優しい顔をしていた。
 気づけば頬が緩んで、むず痒くなる。
 誰にも見られないように、そっと敬一さんのシャツの袖をつまんだ。


ー 完 ー


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