吸血鬼専務は私を逃さない〜契約から始まる極甘婚約〜



 パーティーが終わった後。
 慣れないヒールでひょこひょこ歩きながら控え室へ向かう。
 ……完全に靴ズレだわ……。
 控え室へ入ると、先客がいた。
 
「……琴吹先輩」

 三園さんはすでに着替えを終えて、帰るところだったようだ。
 メイクも少し崩れている。
 うつむき加減で、体をこちらに向けた。

「……あの」
 
 いつもの猫撫で声ではなかった。
 あ、私が出入り口を塞いじゃってるのか。
 そそくさと退こうとすると、

「今日は……ありがとうございました」

 意外な言葉が飛んできた。
 
「え?」
「東奥さんのこと……」
 
 気まずそうに視線を逸らす。

「放っておいてくれてよかったのに」

 そう言いながら、三園さんはぎゅっと自分の腕を抱いた。
 助けを求めていたくせに、助けられたことを素直に喜べないような。
 そんな複雑な顔をしている。
 
「そしたら先輩だって、あんなことにならずに済んだのに」

 心配してくれたのか。かわいいところもあるじゃないの。 
 私は思わず眉を下げて、小さく笑った。
 
「そんなことできないわよ」
「……お人好し」
 
 三園さんが、自嘲するみたいに笑う。
 しばらく沈黙したあと、彼女はぽつりと呟いた。
 
「元カレなんです」
「え……?」
「急に『琴吹製薬の社長令嬢と婚約することになった』って、別れたんです」
 
 胸が、ちくりと痛んだ。
 あの時に、そんなことが……?
 
「結局、男の人って肩書とか家柄とか、そういうのが好きなんだって」
「三園さん……」
「だから、琴吹先輩のこと嫌いだったんです」
 
 はっきり言われて、言葉に詰まる。
 
「だって先輩、何もしなくても持ってるじゃないですか。社長令嬢で、可愛くて、岩鬼専務にも愛されて」
 
 三園さんは、悔しそうに唇を噛む。
 私は何も言えなかった。ただ黙って、彼女の言葉を聞いていた。
 
「羨ましかったんです」

 彼女は顔を伏せて、絞り出すように言った。
 
「……ごめんなさい」

 かろうじて聞こえるくらいの小さな声。
 私は、すぐに返事ができなかった。
 嫌がらせされたこと。
 傷ついたこと。
 全部なかったことにはできない。
 でも。

「三園さん」
 
 そっと口を開く。

「私は、あなたみたいに綺麗にネイルできないし、愛嬌もないわ」
「え……?」

 ゆっくりと、三園さんが顔を上げる。
 
「だから、羨ましい」

 本心だ。
 けれど、今私が言える、精一杯の仕返しだった。
 三園さんが目を見開く。
 
「……はぁ?」
 
 呆れたみたいに鼻で笑う。
 彼女はくしゃっと顔を歪めたかと思うと、パッと顔を伏せた。
 
「ほんと、嫌い。そういうところ」
 
 けれど、かすかに口元が、笑っている気がした。


*
 
 ようやく会場から家に帰り、私はひとまず敬一さんの家で一息ついていた。
 パーティー用のドレスとスーツから一変、私はワンピース、敬一さんもネクタイを外したラフな格好だ。
 二人でソファに座ってコーヒーを飲んでいると、ふいに敬一さんが口を開いた。
 
「それにしても気に入らないな」
「え?」

 小さく音を立ててコーヒーのカップを置くと、敬一さんは湯気で曇ったメガネの位置を直す。
 
「おまえに婚約者がいたとは」
「ち、違います……! お付き合いもしてなくて」
 
 敬一さんは、黙って聞いている。
 沈黙が逆に怖い。

「大学生の頃、父が勝手に決めたお見合いだったんです。でも、やっぱり彼も私を社長令嬢としてしか見てくれないことがわかって……。お断りしました」

「……おまえの腕を掴んでいた」
 
 手首のあたりに、まだうっすらと赤い痕が残っている。
 
「腹が立つ」
「敬一さん……」
「化野もそうだ、東奥もそうだ」

 紅い瞳が細められる。

「皆、おまえを自分のものにしようとする」
 
 どきりと心臓が跳ねた。
 
「考えすぎじゃ……」
「考えすぎじゃない」
 
 即座に否定され、両肩を掴まれる。
 
「おまえは自分の魅力に気づいていないだけだ」
「え……」

 間の抜けた声が出てしまった。
 そんなこと、言われたことない。

「そういうところが無防備すぎる」

 敬一さんが小さく息を吐く。

「本当に気に入らない」
 
 ワンピースに合わせて巻いていたスカーフに、敬一さんが手をかけた。
 なんとなく、敬一さんが首元を見せるのを嫌がっている気がして、ドレスを脱いだ後も別のを巻いていたのだ。

 言いながら、するり、と布すれの音を立ててそれをほどく。
 あらわになった無防備な首筋を、紅い瞳がじっと見つめた。
 
「だが、ここだけは俺のものだ」
「あ……っ」

 ずっと自重していたのに。
 愛おしそうに指先で触れられ、ぴくっと身体が震える。
 指先から熱が伝わって、首から上がかぁっと熱くなる。
 
「敬一、さん……」
「うん?」
「ここだけ、ですか……?」

 私は寂しそうに問う。
 敬一さんは、ニヤリと笑って、私をそっとソファに横たわらせる。

「もちろん、全部だ」

 覆い被さるようにして、自身のシャツのボタンを片手で器用に外した。