吸血鬼専務は私を逃さない〜契約から始まる極甘婚約〜



 ホテルの部屋へ入っていく男女の姿。
 寄り添うように歩くその姿は、どう見ても私と岩鬼専務だった。
 でもこれ……さっき三園さんに見せてもらった写真と構図が同じ……。
 まさか、加工されてる!?

「専務、これはどういうことですか!?」
「これ、琴吹さんですよね……?」

 騒ぎは大きくなり、収まりそうにない。
 みんなの視線が、突き刺さるようにこちらへ向けられる。
 三園さんの方を見ると、唇の端を上げてにんまりと笑っていた。
 まるで、私の反応を楽しむみたいに。

「み、みなさん、落ち着いてください、これは……」

 説明しようとする。けれど──
 ダメだ。これが加工だと言ったところで、専務の立場が危うくなることに変わりはない。だって、これは私じゃなくて三園さんなんだもの。どうして? どうしてそこまで私を追い詰めるの……?
 それに専務まで……。

「こ、これは、捏造です!」

 写真そのものが、偽物だと主張するけれど……

「先輩、往生際が悪いですよぉ。専務も、認めたらどうなんです?」

「どっちなんだ……?」
「まさか、社長令嬢ともあろう方が……?」
「専務も次期社長の座を狙って……?」

 そんな憶測が囁かれる。
 ああ、違うのに、信じてもらえない。どうしたら……。

「……まいったな」

 黙って考え込んでいた岩鬼専務が、こめかみを押さえてボソリとつぶやくように言った。
 その低い声が、逆に会議室の空気を静まらせた。

「いや、本当に申し訳ない。こんな写真が出回っているとは」
「じゃあ、認めるんですか?」
「女子社員とホテルに行ったことを?」

 人事部社員たちが、口々に問い詰める。

「専務、ダメですよ!」

 こんな嘘の写真に負けたら、専務の立場が……!
 必死に目で訴えるけど、専務は眉を下げて、目を伏せた。

「いいんだ、琴吹くん。みんなにちゃんと説明しよう」
「そんな……」

 三園さんだけが、満足そうにニヤニヤしている。
 誰もがこちらに注目していて、彼女の表情に気づいていない。

「みなさんには、まだ申し上げていなかったのですが──」

 専務は、真剣な顔で私の肩をぐっと引き寄せた。

(──えっ?)

 突然のことに、どきんと肩が跳ねる。

「実は、琴吹くんと私は婚約しています」

 専務がそう言うと、一瞬だけしん……と静まり返った。

「ええっ!?」

 周囲が一斉にざわめく。

 三園さんの笑みが凍りついた。
 私自身も、まさかここで公表してしまうとは思わず、頭が真っ白になる。

「ですので、この写真はプライベートを撮られたのでしょう。本当に申し訳ありません。……軽率でした」

 専務は、きっちりと腰を折って頭を下げた。
 私も、慌てて頭を下げる。下げながらも、ドキドキが止まらない。
 まさか、公に認めてしまうなんて……。
 三園さんは冷や汗を浮かべながら、悔しそうに唇を噛み締めていた。

「それよりも三園くん。この写真はどこで?」

 顔を上げた専務が、メガネを光らせて訊ねる。

「え、えっと……それは……」

 途端に、三園さんがしどろもどろになる。

「この写真は盗撮に当たる。撮影者に心当たりがあるなら、教えてもらいたいのだが」
「そ、それは、今関係ないですよね? 今は勤務改善の話し合いで……」
「それを遮ってまでこの写真を出したのは君だ。この写真、君はどこで手に入れた?」

 鋭い視線を向けると、その場にいた全員が息を呑んだ。

「す、すみません……。本当に知らないんですぅ……。今朝パソコンに入っててぇ……」

 うるうると目を潤ませながら、三園さんは必死に取り繕う。

「そうか。ではシステム部にログの提出を依頼しよう。送信元もすぐ特定できる」

 専務が言った瞬間、三園さんの表情が固まった。

「どうした?」
「い、いえ……」

 引きつった笑顔を浮かべる彼女を、専務は静かに見つめる。

「そうか。なら問題ないな。後ほど正式に手続きを進める」

 有無を言わせない口調だった。

「さて、話を戻そう……」

 まるで何事もなかったかのように、会議を再開する。
 勤務改善の会議は、その後数時間続いた。
 その間、三園さんはずっと隅の方で黙り込んだままだった。
 どうなることかと思ったけれど、最後には、人事部のみんなが私たちを信じてくれた。そのことが、今はただありがたかった。


 ──結局。画像データが社内パソコンに入っていた、というのは三園さんの苦しい言い訳だったらしい。システムログを解析しても、それらしき送信痕跡は見当たらなかった。専務が言うには、「おおかた、誰かに撮らせたのだろう」ということだった。
 三園さんは謹慎処分となり、その後別部署へ飛ばされることになった。
 けれど、まだ解決していないことがある。

「……あの写真、どういうことですか」

 会議が終わった後、再び専務室で二人きりになった時に訊ねた。
 専務は気まずそうに視線を逸らし、メガネの位置を直す。

「あれは三園くんの虚偽だった。もういいだろう」
「知ってるんですよ、私」

 ごまかさないで、と彼を睨む。

「な、なにをだ」
「専務と三園さんの写真を、加工したものだって」

 専務は黙り込んでしまった。観念したように大きく息を吐く。

「……三園くんに呼び出された」
「ホテルに、ですか」
「そうだ」
 
 返事に迷いがない。
 嘘をついていないのが、余計に腹立たしい。

「……どうして承諾したんです?」
「三園くんを眷属にしようと思った」
「え……?」

 心臓が、嫌な音を立てた。
 それって、つまり、三園さんの血を──

「そうすれば、少なくともおまえに危害は加えられない」
「……っ」

 言っていることは、理解できる。
 合理的で、無駄がなくて、この人らしい考え方だ。

「おまえを守るためだった」

 まっすぐ言い切られて、言葉に詰まる。
 でも、私の気持ちは……

「勝手に決めないでください」

 まっすぐに見つめ返す。

「専務の気持ちはうれしいです。でも……」

 ぎゅっと唇を噛む。

「私を理由に、自分を正当化しないで」

 もう、たくさんだ。
 父も、周囲の人間も、みんなそうだ。
『おまえのためだ』と言いながら、勝手に物事を決めていく。

「専務まで、そういう風にならないでほしいんです」

 言ってから、胸が苦しくなる。
 専務は黙ったまま、こちらを見つめていた。

「……それに」

 ぽつりと言って、専務のワイシャツの袖をつまむ。
 専務は黙って、私の言葉を待ってくれている。

「嫌です。他の女の人と……そういうところに行くの」

 言った瞬間、顔が熱くなる。
 でも、引っ込められなかった。
 少しの沈黙のあと、専務は私の腕を引き寄せる。
 そのまますっぽりと、彼の腕の中に収まってしまった。
 吸血鬼のくせに……あたたかい。

「すまない。配慮が足りなかった」

 顔を上げると、専務がほんの少しだけ困ったように笑った。

「……できなかったんだ」
「え……」
「彼女に向かった途端、おまえの顔が浮かんで……。もう、俺は、おまえじゃないと……」

 専務は、顔を真っ赤にして視線を逸らし、くしゃりと髪を掻き上げる。
 いつも余裕ぶっている専務が、こんな風になるなんて。
 もう、許すしかないじゃない……。
 しばらく見つめ合っていると、専務の顔が近づいてくる。
 こ、これはもしかして、キス……!?

「稀……」

 囁き声にときめきながら目を閉じる。
 専務は私の髪をそっと掻き分けたかと思うと……。

「今……ダメだろうか?」
「……は?」 
 
 目を開けると、専務の視線が私の首筋に向かっている。

「…………ダ、ダメに決まってるじゃないですか!」

 思わず、首元を両手で隠す。
 オフィスで欲情するなんて、もうっ!

「一滴だけ!」
「ダメです! 約束の日まで待てないのなら……私、専務のこと嫌いになりますからね!」

 ガーンと音が聞こえそうなほど、専務はショックを受けて大型犬みたいにしょんぼりしている。
 さっきまであんなに格好良かったのに。
 その姿がなんだか可愛くて、不覚にもキュンとしてしまった。