# 第2話 忘れもの
それを見つけたのは、三日後の夜だった。
ソファの上で丸まっていた毛布を、ようやく畳もうとしたとき。
クッションの隙間から、一枚のカードが滑り落ちた。
亜美は、床に落ちたそれを拾い上げた。
学生証。
少し褪せた証明写真の中で、見覚えのある青年がこちらを見ている。
写真の中でも、眠そうだった。
高梨海音。
名前の下に、学部と学籍番号。
生年月日から数えると、やっぱり二十歳。
七つ下。
たかなし、かいと。
亜美は、小さく声に出してみた。
あの夜、莉子は下の名前でしか呼ばなかった。
苗字を知ったのは、初めてだった。
困ったな、と思った。
捨てるわけにはいかない。
郵送するほどの仲でもない。
というか、住所も知らない。
莉子に預けようか。
そう思って、メッセージを打ちかけて、やめた。
なぜやめたのか、自分でもよくわからなかった。
亜美は学生証を、財布のカード入れにそっと差し込んだ。
金曜の夜。
駅裏の細い路地を、亜美は歩いていた。
学生証を返すだけ。
それだけ。
真鍮のプレートのついた木の扉を、押し開ける。
低いジャズ。琥珀色の灯り。
「先輩!」
莉子が、カウンターの中から目を丸くした。
「また来てくれたんですか!」
「うん。ちょっと、用があって」
亜美はカウンターの奥を見た。
黒いシャツの背中。
捲り上げた袖。
あちこちに跳ねた黒髪。
グラスを拭きながら、大きなあくびをしていた。
「……海音くん」
名前を呼ぶと、あくびの途中で海音が振り返った。
眠そうな目が、少しだけ見開かれる。
亜美は財布から学生証を取り出して、カウンターの上に置いた。
「これ。ソファに落ちてた」
海音は学生証を見て。
亜美を見て。
もう一度、学生証を見た。
「……探してました」
「嘘。探してなかったでしょ」
「探してました。三日くらい」
「三日も気づかなかったってことじゃない」
隣で、莉子が吹き出した。
海音は少しだけむっとした顔で、学生証をエプロンのポケットにしまった。
それから、何も言わずに背を向けた。
棚から、ボトルを一本取る。
グラスに氷を入れる。
コーヒーリキュールを注いで。
その上に、白いミルクをゆっくりと落とす。
とん、と小さな音。
亜美の前に、カルーアミルクが置かれた。
「……頼んでないけど」
「お礼なんで」
「今日は、泣いてないんだけど」
海音は、眠そうな目で亜美を見た。
「知ってます」
それから、少しだけ首を傾げた。
「でもこれ、好きでしょ」
亜美は、言葉に詰まった。
一度しか飲んでいない。
あの夜、泣きながら。
好きだなんて、一言も言っていない。
「……なんで」
「飲んでるとき、顔がちょっとだけ緩んでたんで」
海音はそう言って、また背を向けた。
グラスを拭き始める。
亜美は、目の前のグラスを見つめた。
白い渦が、ゆっくりと茶色に溶けていく。
口をつける。
甘かった。
あの夜と同じ味。
でも、今夜は泣いていなかった。
それから、金曜の夜にバーへ寄るのが亜美の習慣になった。
最初は、たまたま近くを通ったから。
次は、莉子に会いたかったから。
その次は、理由を考えるのをやめた。
扉を開けると、海音はいつも眠そうにグラスを拭いていた。
亜美がカウンターに座ると、何も言わずにカルーアミルクが出てくる。
たまに、違うものも出てきた。
「新作なんで。試してください」
甘すぎたり。
苦すぎたり。
「……これ、何入ってるの」
「秘密です」
「まずい」
「知ってます」
真顔でそう言う海音に、亜美は何度も笑った。
海音は相変わらずモテた。
カウンターの反対側には、いつも誰かが座っていた。
甘い声。
さりげなく触れる指先。
会計のときに手渡される、小さな紙。
海音はそれを見もせずにポケットにしまう。
誰にでも同じ温度で笑って、同じ温度で受け流す。
亜美はそれを、グラス越しに眺めていた。
七つも年下の、綺麗な顔の男の子。
あの子たちと自分とでは、住む世界が違う。
そう思えば、何も気にならなかった。
気にならない、はずだった。
「先輩」
ある金曜の夜、莉子がこっそり亜美に顔を寄せた。
「気づいてます?」
「何に?」
莉子は、意味ありげに笑った。
それから、カウンターの奥に目をやった。
「海音くん、先輩が来てる日は、あくびが少ないんですよ」
亜美は、瞬きをした。
カウンターの奥で、海音がグラスを拭いている。
目が合った。
海音は、すぐに逸らした。
「……気のせいでしょ」
「えー、そうかなあ」
莉子はにやにやしながら、他の客のほうへ行ってしまった。
亜美はグラスを両手で包んだ。
気のせいだ。
あの子には、ゆいなも、まりかも、名前も知らない誰かもいる。
わたしは、ただの常連の一人。
それだけ。
話の端々から、亜美は少しずつ海音のことを知っていった。
地方の出身。
海の近くの町で育った。
だから、海の音、で海音。
「親父が漁師なんで」
大学の近くの、古いアパートで一人暮らし。
風呂なし。トイレ共同。
「銭湯、けっこういいですよ」
食事は、ほとんどコンビニ。
それも一日一回。
「寝てれば腹減らないんで」
「それ、ちゃんとした大人の言うことじゃないからね」
「大人じゃないんで」
「二十歳は大人です」
海音は、少しだけ唇を尖らせた。
「……じゃあ、亜美さんが食わせてくださいよ」
冗談だとわかっていた。
わかっていたのに、亜美はなぜか答えに詰まった。
海音は、それを見て小さく笑った。
「冗談です」
「知ってる」
亜美も笑った。
笑いながら、グラスの中の氷を指でつついた。
十一月の終わり。
冷たい雨が、朝から降り続いていた。
夜十一時。
亜美は風呂上がりの髪を乾かしながら、ソファで本を読んでいた。
インターホンが鳴った。
こんな時間に。
宅配の予定もない。
亜美は、少しだけ身構えながらモニターを覗き込んだ。
画面の中に、ずぶ濡れの青年が立っていた。
黒髪から、ぽたぽたと雫が落ちている。
背中に、くたびれたリュック。
片手に、パンパンに膨らんだビニール袋。
傘は、持っていなかった。
「……海音くん?」
亜美は通話ボタンを押した。
モニターの中で、海音が顔を上げた。
眠そうな目。
でも今夜は、少しだけ困ったような顔をしていた。
「こんばんは」
「こんばんは、じゃなくて。どうしたの」
海音は、少しだけ間を置いた。
それから、真顔で言った。
「アパート、追い出されました」
玄関を開けると、海音は雨の匂いと一緒に入ってきた。
びしょ濡れのスニーカー。
踵は相変わらず踏みつぶされている。
亜美は慌ててバスタオルを持ってきて、海音の頭に被せた。
「追い出されたって、なんで」
「家賃、三か月払ってなくて」
タオルの下から、くぐもった声がした。
「三か月……」
「大家さん、優しかったんですけど。さすがに今日、出てってくれって」
「なんで払わなかったの」
「バイト代、入ったら払おうと思ってて。でも、入ったら忘れてて」
亜美は、額に手を当てた。
呆れて、言葉が出なかった。
「……親は?」
「言ったら連れ戻されるんで」
「友達は?」
「男友達、みんな実家か寮なんで」
亜美は、少しだけ迷った。
それから、訊いた。
「……女の子のとこ、行けばいいじゃない」
ゆいな。まりか。
名前も知らない、小さな紙の誰か。
いくらでもいるはずだった。
海音はタオルの下から、ちらりと亜美を見た。
「あそこは、泊まったら面倒なんで」
面倒。
何が、とは訊かなかった。
訊かなくても、なんとなくわかった。
そして、その答えが示すものも。
わたしのところなら、面倒じゃない。
何も起きないから。
何も期待されないから。
それだけのことだ。
亜美は、胸の奥がちくりとするのを感じた。
焦げたチャーハンの朝と、同じ場所が。
「……で、なんでうちに来たの」
「亜美さんち、場所知ってたんで」
海音は、タオルで髪をがしがしと拭いた。
それから、少しだけ声を落とした。
「あと、亜美さんなら、入れてくれると思ったんで」
亜美は、言い返そうとして口を開いた。
何も出てこなかった。
事実、もう入れてしまっている。
雨に濡れた、この子を。
「……一週間」
亜美は、腕を組んで言った。
「一週間だけだからね。その間に、次の部屋探すこと」
海音の顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
「ありがとうございます」
「家賃は払わなくていいけど、家事は手伝ってね」
「寝るのが仕事なんで」
「働け」
海音は、ふっと笑った。
タオルの下で、濡れた前髪が揺れていた。
その夜、海音はまたソファで眠った。
亜美が貸したスウェットは、少しだけ丈が短かった。
毛布にくるまって、子どもみたいに丸くなって。
亜美は寝室の扉を少しだけ開けたまま、ベッドに横になった。
リビングから、静かな寝息が聞こえてくる。
一週間だけ。
一週間経ったら、出ていく。
亜美は天井を見上げて、小さく息を吐いた。
七つも年下の。
女の子に困らない。
家賃を三か月滞納して追い出された、大学生。
とんでもないものを拾ってしまった。
そう思いながら。
リビングから聞こえる寝息が、なぜか少しも嫌ではなかった。
一人きりの夜の静けさより、ずっと。
窓の外で、十一月の雨がまだ降り続いていた。
それを見つけたのは、三日後の夜だった。
ソファの上で丸まっていた毛布を、ようやく畳もうとしたとき。
クッションの隙間から、一枚のカードが滑り落ちた。
亜美は、床に落ちたそれを拾い上げた。
学生証。
少し褪せた証明写真の中で、見覚えのある青年がこちらを見ている。
写真の中でも、眠そうだった。
高梨海音。
名前の下に、学部と学籍番号。
生年月日から数えると、やっぱり二十歳。
七つ下。
たかなし、かいと。
亜美は、小さく声に出してみた。
あの夜、莉子は下の名前でしか呼ばなかった。
苗字を知ったのは、初めてだった。
困ったな、と思った。
捨てるわけにはいかない。
郵送するほどの仲でもない。
というか、住所も知らない。
莉子に預けようか。
そう思って、メッセージを打ちかけて、やめた。
なぜやめたのか、自分でもよくわからなかった。
亜美は学生証を、財布のカード入れにそっと差し込んだ。
金曜の夜。
駅裏の細い路地を、亜美は歩いていた。
学生証を返すだけ。
それだけ。
真鍮のプレートのついた木の扉を、押し開ける。
低いジャズ。琥珀色の灯り。
「先輩!」
莉子が、カウンターの中から目を丸くした。
「また来てくれたんですか!」
「うん。ちょっと、用があって」
亜美はカウンターの奥を見た。
黒いシャツの背中。
捲り上げた袖。
あちこちに跳ねた黒髪。
グラスを拭きながら、大きなあくびをしていた。
「……海音くん」
名前を呼ぶと、あくびの途中で海音が振り返った。
眠そうな目が、少しだけ見開かれる。
亜美は財布から学生証を取り出して、カウンターの上に置いた。
「これ。ソファに落ちてた」
海音は学生証を見て。
亜美を見て。
もう一度、学生証を見た。
「……探してました」
「嘘。探してなかったでしょ」
「探してました。三日くらい」
「三日も気づかなかったってことじゃない」
隣で、莉子が吹き出した。
海音は少しだけむっとした顔で、学生証をエプロンのポケットにしまった。
それから、何も言わずに背を向けた。
棚から、ボトルを一本取る。
グラスに氷を入れる。
コーヒーリキュールを注いで。
その上に、白いミルクをゆっくりと落とす。
とん、と小さな音。
亜美の前に、カルーアミルクが置かれた。
「……頼んでないけど」
「お礼なんで」
「今日は、泣いてないんだけど」
海音は、眠そうな目で亜美を見た。
「知ってます」
それから、少しだけ首を傾げた。
「でもこれ、好きでしょ」
亜美は、言葉に詰まった。
一度しか飲んでいない。
あの夜、泣きながら。
好きだなんて、一言も言っていない。
「……なんで」
「飲んでるとき、顔がちょっとだけ緩んでたんで」
海音はそう言って、また背を向けた。
グラスを拭き始める。
亜美は、目の前のグラスを見つめた。
白い渦が、ゆっくりと茶色に溶けていく。
口をつける。
甘かった。
あの夜と同じ味。
でも、今夜は泣いていなかった。
それから、金曜の夜にバーへ寄るのが亜美の習慣になった。
最初は、たまたま近くを通ったから。
次は、莉子に会いたかったから。
その次は、理由を考えるのをやめた。
扉を開けると、海音はいつも眠そうにグラスを拭いていた。
亜美がカウンターに座ると、何も言わずにカルーアミルクが出てくる。
たまに、違うものも出てきた。
「新作なんで。試してください」
甘すぎたり。
苦すぎたり。
「……これ、何入ってるの」
「秘密です」
「まずい」
「知ってます」
真顔でそう言う海音に、亜美は何度も笑った。
海音は相変わらずモテた。
カウンターの反対側には、いつも誰かが座っていた。
甘い声。
さりげなく触れる指先。
会計のときに手渡される、小さな紙。
海音はそれを見もせずにポケットにしまう。
誰にでも同じ温度で笑って、同じ温度で受け流す。
亜美はそれを、グラス越しに眺めていた。
七つも年下の、綺麗な顔の男の子。
あの子たちと自分とでは、住む世界が違う。
そう思えば、何も気にならなかった。
気にならない、はずだった。
「先輩」
ある金曜の夜、莉子がこっそり亜美に顔を寄せた。
「気づいてます?」
「何に?」
莉子は、意味ありげに笑った。
それから、カウンターの奥に目をやった。
「海音くん、先輩が来てる日は、あくびが少ないんですよ」
亜美は、瞬きをした。
カウンターの奥で、海音がグラスを拭いている。
目が合った。
海音は、すぐに逸らした。
「……気のせいでしょ」
「えー、そうかなあ」
莉子はにやにやしながら、他の客のほうへ行ってしまった。
亜美はグラスを両手で包んだ。
気のせいだ。
あの子には、ゆいなも、まりかも、名前も知らない誰かもいる。
わたしは、ただの常連の一人。
それだけ。
話の端々から、亜美は少しずつ海音のことを知っていった。
地方の出身。
海の近くの町で育った。
だから、海の音、で海音。
「親父が漁師なんで」
大学の近くの、古いアパートで一人暮らし。
風呂なし。トイレ共同。
「銭湯、けっこういいですよ」
食事は、ほとんどコンビニ。
それも一日一回。
「寝てれば腹減らないんで」
「それ、ちゃんとした大人の言うことじゃないからね」
「大人じゃないんで」
「二十歳は大人です」
海音は、少しだけ唇を尖らせた。
「……じゃあ、亜美さんが食わせてくださいよ」
冗談だとわかっていた。
わかっていたのに、亜美はなぜか答えに詰まった。
海音は、それを見て小さく笑った。
「冗談です」
「知ってる」
亜美も笑った。
笑いながら、グラスの中の氷を指でつついた。
十一月の終わり。
冷たい雨が、朝から降り続いていた。
夜十一時。
亜美は風呂上がりの髪を乾かしながら、ソファで本を読んでいた。
インターホンが鳴った。
こんな時間に。
宅配の予定もない。
亜美は、少しだけ身構えながらモニターを覗き込んだ。
画面の中に、ずぶ濡れの青年が立っていた。
黒髪から、ぽたぽたと雫が落ちている。
背中に、くたびれたリュック。
片手に、パンパンに膨らんだビニール袋。
傘は、持っていなかった。
「……海音くん?」
亜美は通話ボタンを押した。
モニターの中で、海音が顔を上げた。
眠そうな目。
でも今夜は、少しだけ困ったような顔をしていた。
「こんばんは」
「こんばんは、じゃなくて。どうしたの」
海音は、少しだけ間を置いた。
それから、真顔で言った。
「アパート、追い出されました」
玄関を開けると、海音は雨の匂いと一緒に入ってきた。
びしょ濡れのスニーカー。
踵は相変わらず踏みつぶされている。
亜美は慌ててバスタオルを持ってきて、海音の頭に被せた。
「追い出されたって、なんで」
「家賃、三か月払ってなくて」
タオルの下から、くぐもった声がした。
「三か月……」
「大家さん、優しかったんですけど。さすがに今日、出てってくれって」
「なんで払わなかったの」
「バイト代、入ったら払おうと思ってて。でも、入ったら忘れてて」
亜美は、額に手を当てた。
呆れて、言葉が出なかった。
「……親は?」
「言ったら連れ戻されるんで」
「友達は?」
「男友達、みんな実家か寮なんで」
亜美は、少しだけ迷った。
それから、訊いた。
「……女の子のとこ、行けばいいじゃない」
ゆいな。まりか。
名前も知らない、小さな紙の誰か。
いくらでもいるはずだった。
海音はタオルの下から、ちらりと亜美を見た。
「あそこは、泊まったら面倒なんで」
面倒。
何が、とは訊かなかった。
訊かなくても、なんとなくわかった。
そして、その答えが示すものも。
わたしのところなら、面倒じゃない。
何も起きないから。
何も期待されないから。
それだけのことだ。
亜美は、胸の奥がちくりとするのを感じた。
焦げたチャーハンの朝と、同じ場所が。
「……で、なんでうちに来たの」
「亜美さんち、場所知ってたんで」
海音は、タオルで髪をがしがしと拭いた。
それから、少しだけ声を落とした。
「あと、亜美さんなら、入れてくれると思ったんで」
亜美は、言い返そうとして口を開いた。
何も出てこなかった。
事実、もう入れてしまっている。
雨に濡れた、この子を。
「……一週間」
亜美は、腕を組んで言った。
「一週間だけだからね。その間に、次の部屋探すこと」
海音の顔が、ほんの少しだけ緩んだ。
「ありがとうございます」
「家賃は払わなくていいけど、家事は手伝ってね」
「寝るのが仕事なんで」
「働け」
海音は、ふっと笑った。
タオルの下で、濡れた前髪が揺れていた。
その夜、海音はまたソファで眠った。
亜美が貸したスウェットは、少しだけ丈が短かった。
毛布にくるまって、子どもみたいに丸くなって。
亜美は寝室の扉を少しだけ開けたまま、ベッドに横になった。
リビングから、静かな寝息が聞こえてくる。
一週間だけ。
一週間経ったら、出ていく。
亜美は天井を見上げて、小さく息を吐いた。
七つも年下の。
女の子に困らない。
家賃を三か月滞納して追い出された、大学生。
とんでもないものを拾ってしまった。
そう思いながら。
リビングから聞こえる寝息が、なぜか少しも嫌ではなかった。
一人きりの夜の静けさより、ずっと。
窓の外で、十一月の雨がまだ降り続いていた。


