もう一つの学校

 両親が離婚した。
 苗字が変わって、神崎雅になった。
 そして、中3の春。
 母の実家ーー栃木県に引っ越すことになった。
 雅が転校する私立織姫学園中等部は、栃木県内で3本の指に入る中高一貫校だ。
 学校までは、自転車で15分。
 雅は、東京では自転車に乗ることがほとんどなかったので、不慣れにペダルを漕いだ。
 すると、自然と隣り合わせの街の中に、お城のように大きな校舎が現れる。

「疲れた……」

 校舎に足を踏み入れると、雅は真っ白な床にまた憂鬱になった。
 ピッカピカだわ……。
 前の学校は、古き良き伝統校だった。
 なので、校舎はアンティークな雰囲気でどこもかしこも木を使用した茶色。

「それで、アピタのミスドに行ったんだけど。人気だから行列でさ」
「並んだん?」
「並ばないよ、ディズニー並みだよ?」

 雅は、廊下で紺色のブレザーを着た生徒2人とすれ違う。
 一方は男子で、もう一方は女子。
 2人が談笑する姿を見送って、雅は自分の制服姿に目を落とした。
 紺色のジャケット、緑のリボン、緑とグレーのラインが入ったチェックのスカート。
 前の学校は、セーラー服だったからな……。

ーーキーンコーンカーンコーン。

 聞き慣れたチャイムの音。
 どこの学校もチャイムは同じ。
 担任の先生からは『朝8時半に直接3年C組に来るように』と連絡があった。
 校舎の廊下を歩けば、窓も、各教室も、中庭も……すべて初めて見る景色。

「3年C組……3年C組……あ、ここね」

 教室をのぞいてみると、ピシッと背筋を伸ばしたクラスメイトたちが、一斉に黒板に視線を向けていた。

「あれ?」

 全員が姿勢を正しているかと思いきや……違う。
 ひとりだけ、周りを気にせず寝ている人物がいた。
 どうしてあの子だけ、顔を突っ伏しているのかしら。
 長めの黒い髪が顔にかかっている男子。
 きれいな寝顔……。
 彼は、窓際の一番後ろの席。
 窓の外には、もう数少ない花びらをひらひらと落とす桜の木が揺れている。
 彼とともに切り取ると一枚の絵のようだ。

「……教室の角。一番人気の席ね」

 つぶやいた声が室内に届くはずはない。
 だが、小柄のかわいらしい先生が雅に気づいたようで、ドアを開けた。

「神崎さん、入って入って!」
 
 人当たりの良さそうな先生。
 胸元にはネームプレートがかかっていて、「田中まゆみ」と書かれている。
 この人が担任の田中先生……。
 雅は、田中の後に続き、教室に足を踏み入れた。
 そして、黒板の前に立つ。
 教卓から見る教室は、眺めがいい。
 生徒ひとりひとりの顔もよく見える。
 雅がその場に立ち尽くしていると、クラスメイトたちは雅を見て、なにやらザワザワと話し始めた。

「めちゃくちゃ美人じゃね?」
「スタイル良! モデルみたい」
「頭良さそう〜」
「高嶺の花って感じ?」
「色白〜うらやましすぎるっ」

 雅は、身長168cmの痩せ型。
 母に似た切長の目、すうっと通った鼻。
 そして、父親譲りのツヤのある黒髪に、真っ白な肌。
 ざわめきを制するように担任の田中が声を張る。
 
「はーい、みんな静かに。今日からC組に新たなメンバーが加わります。ほらー! そこ! 静かに! 神崎さん、自己紹介をお願いできるかな?」

 少しだけおさまった喧騒。
 雅は、緊張して少し汗ばんだ手をギュッと握る。

「……神崎雅です。よろしくお願いします」

 深くお辞儀した直後。

「彼氏いますかー!」

 頭上に質問が飛んできた。
 雅が顔を上げて「え?」という顔をしてみせた。

「さあ、答えはいかに!」

 窓際に座るチャラそうな茶髪の男子が追い討ちをかける。
 ニカっとはにかんだ笑顔は、かわいらしい。
 犬に例えるなら……ポメラニアンか……いや、パピヨンか。

「秘密です」

 雅は真顔で答えた。

「え、俺、焦らされてる?! ってな!」

 彼は、おどけた顔をした。
 すると、クラスメイトたちは、
「「「ははは! ヤマト、惨敗かー!!!」」」
 と一斉に笑った。

「渡部くん! いい加減にしなさい! 神崎さん困ってるでしょ」
「……いえ、大丈夫です」
「彼は、渡部大和くん。クラス一の人気者で、クラス一のお調子者なの。ごめんね」

 田中が苦笑いをしながら両手を合わせる。
 ペコっと雅がお辞儀をすると、田中は生徒たちの方に向き直った。

「神崎さんには、転入試験も兼ねて、新学期のテストを受けてもらいました。みんなが先週受けたやつね。なんと! 全教科満点!」

 すると「あのビジュで頭もいいのか〜」「神様、不公平〜」などのクラスメイトの会話が耳に入る。
 雅は、中学生にしては大人びていた。
 だから、こういった同級生の会話を聞いても「めんどくさい」くらいにしか思わない。
 ムッとしたり、悲しい気持ちになることなどほとんどない。
 どちらかといえば、そういった感情を持つことが無駄だと、いつの日か納得してしまったのだ。

「いつも言ってるけど、受験なしで高校に行けるからって勉強をおろそかにしないように! 神崎さんを見習って!」
「はーい、先生。耳にタコができそうなほど聞きました〜! 善処しますー!」
「まったく。渡部くんったら、返事だけはいいんだから」

 担任の田中は頭を抱える。
 そして、雅が隣にいたことを思い出してハッとした。

「……あ! 神崎さんの席は、和田譲くんの隣の席ね。窓際の一番後ろの隣よ。ああ……和田くん。今日も寝てる……困ったものね」

 窓際の一番後ろの席。
 田中が指差した先には、さっきドアの外から見つけた彼。
 その前の席には、茶髪パピヨンーーもとい、渡部ヤマトが。

「神崎さん? 席に座っていいわよ」
「はい」

 田中に促されて机と机の間を通り、雅は席に向かう。
 窓際の一番後ろの席の……隣。
 そして、茶髪パピヨンの横を通り過ぎたとき。

「(こそっ)緊張、少しは解けた?」

 小さい声が聞こえる。
 振り向くと、茶髪パピヨンがウィンクしながらほほえんだ。

「………」

 もしかして、さっきの発言は、私の緊張を解くためだったの?
 茶髪パピヨンは、雅が席につくと安心した顔をしてから正面を向いた。
 隣の席の和田という人物は、目を覚まさなかった。

◇◆◇

 放課後。
 今日は、職員会議が15時半からあるので、15時に授業が終わった。
 全部活が休みらしい。
 担任の田中が生徒たちを送り出す。
 それにしても、あっという間の1日だった。

「みんな、気をつけて帰ってね!」

 雅は引き出しの中の教科書を自分のスクールバッグに入れながら、1日を振り返った。
 朝のホームルームが終わっても、クラスメイトから声をかけられることはなかった。
 クラスメイトのせいではない。
 ホームルームが終わるなり、雅がすっとバッグから小説を取り出し、「話しかけないで」オーラを放っていたからだ。
 だが、空気の読めない茶髪パピヨンーー渡部ヤマトには、1日中質問攻撃を喰らった。
 中休みも昼休みも。
 事あるごとに話しかけてきたが、雅は小説を片手に無言でやり過ごした。

「神崎さんって、どこから引っ越してきたの? ジョウ、気になるよな!」
「きょうだいは? 俺には姉貴がいるよ!」
「好きなタイプは? ほら、ジョウも聞いとけよ!」

 ヤマトは、和田ジョウに話しかけながら質問する。
 和田の下の名前はジョウというようだ。
 ジョウは、授業中も休み時間もずっと寝ていたが……。
 一方、クラスの女子たちは、というと。
 休み時間や授業の合間に読書をする雅の姿を見て「神崎さんはひとりが好きなんだよ、きっと」と、横目で見ていた。
 中3にもなると、必ずしも友達と一緒にいなくても学校生活が送れる。

 帰りのホームルームが終わると、ヤマトが雅の横に立っていることに気づき我に返る。
 1日を振り返っている場合じゃなかったと、雅は帰り支度を再開した。
 もちろん、ヤマトのことはガン無視だ。
 だが、1日中付き纏われるのもめんどうになってきた。
 一度くらい反応してあげた方がいいか。

「神崎さん、MBTI教えてよ! 俺、ENFJ」 
「……でしょうね」
「わ! やっと神崎さんが反応してくれた! おい! 起きろよ! ジョウ!」
 
 ヤマトは喜びながら、ぴょんぴょんと跳ねる。
 すると、突然、先生が雅を呼んだ。

「神崎さん、渡したいものがあるから、職員室まで来てくれる?」
 
 雅は、先生の声に反応して席を立ち、「はい」と返事をして足早に教室を出た。